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失われたスピードを求めて。楽天・安樂智大「剛腕」への再挑戦 (2ページ目)

  • 菊地高弘●文 text by Kikuchi Takahiro
  • 小池義弘●写真 photo by Koike Yoshihiro

 安樂智大の名前が全国に知られるようになったのは、済美高(愛媛)2年時の2013年春のセンバツだった。大会前の下馬評はさして高くなかった済美高だが、快速球右腕・安樂の力投もあって準優勝と躍進した。原動力になった安樂を賞賛する声がある一方で、逸材に大会を通じて772球もの球数を投げさせた上甲正典監督(故人)へのバッシングも湧き上がった。

 アメリカメディアまでもがネガティブな論調で報道した「安樂問題」だったが、周囲の喧騒をよそに、安樂本人はいつもクレバーなメディア対応で問題がないことを強調していた。しかし、2年の秋に右ヒジを故障。医師からは「右腕尺骨神経麻痺」の診断が下りた。

 高校3年時は春夏とも甲子園出場なし。それでも痛めたヒジは順調に回復しており、ドラフトの時点で状態はだいぶ上向いていたという。しかしキャンプ以降、安樂の名前がテレビや新聞で華々しく報道されることは減っていった。

 6月29日に行なわれた侍ジャパン・ユニバーシアード日本代表の壮行試合。大学日本代表の対戦相手になったのは、12球団のファームクラスの若手で構成されたNPB選抜。先発マウンドを任された安樂の投球を見たあるスカウトは、驚いた顔つきでこう漏らした。

「まだどこか悪いのかな? リリースでボールをギュッと握り潰すような強さがない。あれでは投げさせないほうがいいんじゃないかな。悪いクセがついちゃうかもしれない」

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