かつての世代最強打者。中日・福田永将「9年目の飛躍」の真相 (2ページ目)

  • 高森勇旗●文 text by Takamori Yuki
  • photo by Kyodo News

 そんな福田を変えたものとは何だったのだろうか。

 昨季の秋季キャンプでのこと。福田は打撃フォームの改造に着手していた。そして波留敏夫バッティングコーチからのある助言が、福田に新たな感覚をもたらした。

「右肩を出さないという感覚。『左肩を開かないように』は、何回も言われてきたけど、右肩を出さないという感覚は、今まで考えたこともなかった。この言葉がはまった」

 秋季キャンプ中に行なわれた社会人野球チームとの練習試合。そこで福田はライトオーバーの安打を放つ。その時、その感覚は確信に変わった。

「このバッティングができるなら、絶対に通用する」

 これまでとは比べものにならない確かな感覚を、福田はようやく手に入れた。

 福田と私はいわゆる"88世代"、1988年生まれの同級生である。この世代で、学生時代の福田を知らない者はもぐりだと言っていいほど、昔から福田の名は全国に知られていた。特に中学時代の福田は、そのままドラフトで指名されてもおかしくないほど、中学レベルをはるかに超越する選手だった。

 大阪・舞洲(まいしま)スタジアムで開催される、リトルシニアリーグの春季全国大会。その準決勝、決勝で福田は1試合2本ずつ、計4本のホームランを放ち、チームを日本一に導いた。当時、『シニア新聞』なる全国のリトルシニアリーガー御用達の新聞に大々的に取り上げられ、その記事を読んだ当時14歳の私は、強い衝撃を受けた。

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