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広島、24年ぶりVに現実味。黒田は黒田のままで帰ってきた (2ページ目)

  • 前原淳●文 text by Maehara Jun
  • photo by AFLO

 しかし黒田は、単年4億円の広島を選択した。しかも、家族はロサンゼルスに残したままで、ヤンキース時代からの単身赴任が解消されるわけではない。条件面はもちろん、どんな理由を考慮しても、「広島復帰」をうなずけるものはない。あるとすれば、それは「黒田博樹だから」というところに行き着く。だからこそ、広島ファンは毎年のように信じて待つことができたのかもしれない。

「鳴かず飛ばずの結果で帰ってくることだけはしたくない」

 そんな言葉とは裏腹に、日本人投手初の5年連続2ケタ勝利中。先述した提示額が示すように、「鳴かず飛ばず」どころか、メジャーでも最大級の評価を得ている。広島復帰によって日本球界でどのような投球を見せてくれるのか楽しみであると同時に、もうメジャーのマウンドで黒田を見られない悲しさを感じている野球ファンも少なくないのではないだろうか。しかしそれでこそ、黒田なのだろう。

 広島との交渉中に、新井の復帰が決まったことは黒田の決断に少なからず影響を与えたに違いない。投手と野手ではあるが、同じ野球観を持ち、同じ07年オフに広島を離れるまで、投打の軸として低迷していたチームを引っ張ってきた。そんなふたりが7年のときを経て、再び同じユニホームに袖を通す。これもまた、不思議な縁だ。

 帰ってきた広島では懐かしさを感じつつも、どこか違和感を覚えるかもしれない。黒田が移籍してからの7年で、広島は大きくチームが変わった。黒田の移籍翌年に、高卒2年目で一軍初登板を果たした前田健太が、今ではチームの大黒柱だ。先発ローテーション候補の野村祐輔や大瀬良大地はヤンキースへ移籍してからの入団。打線も移籍後に入団した菊池涼介と丸佳浩が引っ張る。世代交代を押し進めたチームは万年Bクラスから脱却し、2年連続クライマックスシリーズに出場した。

 ふと、ドジャース時代のオフに帰国した際の黒田の言葉を思い出す。

「まだ自分が現役バリバリのうちに復帰して、アメリカで学んだことを伝えたい」

 マツダスタジアムで自主トレを行なっていたときに、前田健や今井啓介などこれまで交流のなかった若手投手にアドバイしていた。

 経験豊富な黒田の復帰は、単純な戦力アップだけではない。これまでひとりでチームを引っ張ってきた前田健太の負担を減らすことができるだろう。また、大きな可能性を秘めた若手や伸び悩む中堅の投手にとって、努力でここまで上り詰めた黒田は生きた教材となるはずだ。プロ入り後に才能を開花させ、メジャーへ行っても球種の改良や調整法の適応など、努力と工夫を重ねてきた生き様は、数字に表れないものをチームに与えてくれるに違いない。

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