2015.01.16

京大初のプロ野球選手、田中英祐「4年間の軌跡」

  • 谷上史朗●文 text by Tanigami Shiro
  • photo by Kyodo News

「これまで野球を辞めるタイミングは2回ありました」

 昨秋のドラフトを数日後に控えたある日、田中英祐はそう言った。

 一度目は兵庫県にある中高一貫の進学校、白陵から京都大学工学部に進んだ4年前の春。高校時代の田中は2年の夏、前年甲子園出場の加古川北高を7回1失点に抑える好投を見せ、「進学校に好投手あり」と話題になった。しかし、3年夏は味方のミスも絡み7失点で初戦敗退。「野球はもういいか」と思ったという。だが田中は、入学すると野球部への入部を決めた。

「野球をやらなかったら、ただの京大生になるなと思ったんです。周りには僕より賢いヤツはいくらでもいる。中学、高校の時もそうでしたけど、野球部でピッチャーをやっているのが僕でした。だから、野球をやっていない自分は想像できなかったんです」

昨年秋のドラフトでロッテから2位で指名を受け、京大初のプロ野球選手となった田中英祐

 そして2度目は、大学4年の時だ。三井物産から内定をもらい、これから野球人として生きていくのか、それとも企業人として生きていくのか、大いに悩んだという。それでも最後は大好きな野球の道を選んだ。

 そもそも大学に入った当初、田中はプロの世界へ進むということは想像もしていなかった。田中の中で「プロ」の2文字が浮かんだのは、「大学3年になってから」だったという。だが、本人よりもひと足早く、その可能性を見抜いていたのが、京大野球部の監督を務めていた比屋根吉信だった。

 比屋根は1976年から沖縄・興南高校で監督を務め、6度甲子園に出場した。豊見城、沖縄水産で指揮を執り沖縄野球の基礎を作ったとされる栽弘義(故人)の牙城を崩し、一時代を築いた人物でもある。その比屋根が野球部の強化を託され、田中が入学する前年に京大野球部の監督に就任した。比屋根が田中との出会いをこう振り返る。

「投げる姿を一目見て、これはプロの素材だと思いました。真っすぐは140キロを超し、何よりも腕の振りが速かった。これだけ腕が振れるのは、しっかりと体全体を使えているからで、4年後には京大初のプロ野球選手が誕生すると思っていました」

 京大が所属する関西学生リーグは京大の他に、近畿大、立命館大、関西大、関西学院大、同志社大がおり、京大は最下位が指定席になっていた。そんな中での原石との出会いに、比屋根の気持ちも昂(たか)ぶった。

「興南高で指導している時もプロに進んだ選手が何人かいましたが、彼らと比べても田中はまったく見劣りしません。足りないものは経験だけでしたね。とにかく、これから活躍するための基礎を作る。最初はそこから始めました」