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京大初のプロ野球選手、田中英祐「4年間の軌跡」 (2ページ目)

  • 谷上史朗●文 text by Tanigami Shiro
  • photo by Kyodo News

 比屋根は興南高の監督時代、仲田幸司(元阪神など)、デニー友利(元横浜ほか)など、10人の選手をプロの世界へ送った。選手の育成に長(た)けており、特に体の仕組みや使い方からアプローチする技術指導に定評があった。

「当初、田中のフォームで気になっていたのはインステップで、ここは本人と話しながら徐々に修正していきました。でも、それ以外は特にありませんでした。とにかく、1、2年の間に投手としての土台を作ろうと。トレーニングはランニング中心でしたが、ただ走るのではなく『走り方ひとつでピッチングフォームが変わるんだぞ』と言って、ちゃんと目的をもってやらせていました。ランニングは、持久力、瞬発力をつけることはもちろんですが、手足をスムーズに連動させてバランスよく体を動かすための効果もあります。走っている時に力む選手は、投球フォームも力みがちになってしまうんです。『そういうことをしっかり考えてやるように』と繰り返し言いました」

 田中も入部当初は力んだ走り方をしていたが、徐々に無駄な力が抜け、バランスよく走れるようになると、投球フォームも安定していった。

 そしてもうひとつ、田中が比屋根からよく言われたのが、「自分本位のブルペンにするな」ということだ。田中は次のように説明する。

「投球練習というのは、狙ったところにボールを投げる、きれいな回転のボールを投げるといったことに目を向けてしまいます。もちろんそれも大事なことですが、試合を想定した投球でなければ意味がありません。たとえば、捕手にも協力してもらって『今の球はこの前の試合で打たれた球と同じ。もっと低く』とか、『今の回転のボールなら多少甘くても大丈夫』とか、アドバイスをもらっていました。ブルペンでの投球練習を充実させたことが、試合につながっていきました」

 これらの地道な取り組みもあり、田中は1年秋から主戦となり、最速147キロを記録。2年春には京大の連敗を「60」で止める完封勝利。3年春には近畿大、立命館大に勝利し、4年秋にはベストナインに選出された。

 比屋根は田中の性格について「強いものに向かって行くところと、客観的に自分を見られる一面を持っている」と語る。

「私のアドバイスでも納得していない時はすぐわかりましたし、納得して初めて真剣に取り組むところがあった。この当たりもプロ向きの性格だと思いますね」

 物事の筋道を立てて考え、納得した上で取り組むから身につく。田中の成長を見守っていた比屋根だったが、田中が2年の秋、チームを離れた。

「私の使命はチーム立て直しのための土台作りと考えていましたから。戦える基礎はできました。私の仕事はここまでだと、身を引かせてもらいました。田中に関しても、2年間で私の伝えるべきことはすべて伝えました」

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