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かつてのVメンバーが語る、宮本慎也の秘密 (3ページ目)

  • 石塚隆●文 text by Ishizuka Takashi
  • 日刊スポーツ●写真 photo by Nikkan sports

 ヤクルトの不動のショートになった宮本は、守備に磨きをかける一方で、バッティングでも成長のあとを見せるようになる。大きく影響を与えたのが、野村監督が掲げた「ID野球」だった。

「とにかく相手を観察していましたね。いつからか、配球を読んで打てるようになっていました。あのあたり、野球センスの良さを感じますね」(飯田)

「あらゆるデータを参考にした努力家。野村監督の野球を打撃面で一番理解していたのは間違いなく慎也だったし、時間をかけて自分のバッティングを完成させたことが2000本安打や選手生命の長さにつながったと思います」(池山)

 そしてもうひとつ、宮本を大きく変えた出来事があった。それが、西鉄時代は“怪童”と恐れられ、引退後は西鉄、ヤクルト、阪神、近鉄などでバッティングコーチ、監督を務めた中西太との出会いだった。1999年の秋季キャンプで野村監督のあとを継いだ若松勉監督が臨時コーチとして招いたのが中西だった。そこで中西は宮本に「下半身を重視して、ボールを呼び込み、ボールを強く叩くように」とアドバイスした。さらに、「逆方向だけでなく、強く引っ張ってもいいんだ」とも。その甲斐あって、2000年は自身初の3割をマーク。「守備の人」だけではなくなった。

 バッティングで急成長を見せた理由を、池山は次のように分析する。

「普段は、あまり人に悩みを打ち明けることもないんですが、バッティングで疑問があったりするとすぐに訊きに来て、納得すれば受け入れる素直さがありました」

 池山はそう言うと過去を振り返るように、ちょっとはにかんだ表情をみせた。

「慎也がプロ2年目になる時から一緒に自主トレをするようになったのですが、毎年、体を作りこんできて、初日から追い込んで練習していました。若いときから常にコンディションに気を使っていたし、そのあたりも長年やれた秘訣でしょうね。慎也ほど、『野球=仕事』に徹した人間はいませんでした。そうそう、昨年まで慎也が若手を連れて行なっていた自主トレの場所は、じつは僕の代から引き継いだ場所なんですよ。そうやって若手の面倒を見ながら継承してくれるのも嬉しいことです。また裏方さんもすごく大事にするし、きっと脇役としてプレイしてきたからこそ、そういった気遣いができるんだと思います」

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