2013.11.13

かつてのVメンバーが語る、宮本慎也の秘密

  • 石塚隆●文 text by Ishizuka Takashi
  • 日刊スポーツ●写真 photo by Nikkan sports

プロ野球「行く人、来る人」2013

宮本慎也(みやもと・しんや)/1970年11月5日、大阪府生まれ。PL学園から同志社大を経て、プリンスホテルに進む。好守の内野手として活躍し、94年ドラフトではヤクルトを逆指名し、2位で入団。01年に日本記録となるシーズン67犠打を記録。04年にアテネ五輪、08年は北京五輪に出場し、日本代表のキャプテンを務めた。また、06年には第1回WBCの日本代表に選出され、世界一を経験。通算成績は2162試合に出場し、2133安打、62本塁打、578打点、打率.282。

 今シーズン限りでユニフォームを脱いだ宮本慎也は、誰からも称賛される存在だった。ゴールデングラブ賞を10回獲得した高い守備力、2012年には41歳5カ月で2000本安打を達成した。輝かしいのは個人記録だけない。2004年アテネ五輪、2008年北京五輪では日本代表の主将を務め、強烈なキャプテンシーでチームを牽引。また、プロ野球選手会の会長も務め、球界改革にも一役買った。野球に対しての真摯な姿勢は、チームの枠を越えて多くの選手から人望を集めた。

 宮本はPL学園高(大阪)から同志社大を経て、プリンスホテルに進むなど、野球界のエリート街道を歩んできた。そして1994年のドラフトでヤクルトを逆指名しドラフト2位で入団。大きな期待を背負ってプロの世界に飛び込んだ。

 まず宮本が高く評価されたのが守備だった。当時を知る、池山隆寛(現ヤクルト二軍打撃コーチ)は次のように語る。

「とにかく入団当初から守備は抜群にうまかった。ボールに対しての反応の速さ、スピード、そしてグラブさばき。タコの吸盤みたいにグラブにボールが吸いつくんです。当時、名手と言われていた辻(発彦)さんに匹敵するぐらい、モノが違っていました。『いずれ抜かれるな』と、内心思いました」

 宮本が入団した時、池山はヤクルトの不動のショートだった。その池山ですら、宮本の守備力に脅威を感じていたという。それは首脳陣も認めるところで、当時ヤクルトの監督だった野村克也は、守備の負担を減らしバッティングに集中させるため、池山にサードへのコンバートを打診したという。

「けど僕は、まだショートでやれると思ったし、サードに回るのは『まだ早い』という思いもあったので、ショートを守らせてもらったんです」(池山)