記録ラッシュのプロ野球。それでも抜けない不滅の記録は? (2ページ目)
通算400勝に到達するためには20勝を20年。2000年以降に20勝を達成した投手は2005年の斉藤和己(ソフトバンク)と井川慶(阪神)、2008年の岩隈久志(楽天)、そして今シーズンの田中の4人しかいない。シーズン20勝を挙げることすら厳しい時代に、しかもそれを20年なんて......想像もできない。ちなみに、現役最多は山本昌(中日)の218勝(9月15日現在)。入団30年目を迎え、最多勝3回の山本昌でさえこの数字なのだ。
勝利数でいえば、シーズン42勝も夢のまた夢の話。今とは違い、ひとりの投手が先発もリリーフも兼ねるというのは当たり前の時代。とにかく、登板数が違いすぎる。例えば、稲尾が42勝を挙げたシーズンは、なんと78試合(先発で30試合、リリーフで48試合)に登板し、404イニングを投げている。昨年の先発投手の登板数は前田健太、バリントン(ともに広島)、メッセンジャー(阪神)の29試合が最高で、今シーズンの田中のように神がかり的な連勝を記録しても追いつけない、まさにアンタッチャブルな記録なのである。
そして江夏のシーズン401奪三振もアンタッチャブルな記録として永遠に語り継がれるに違いない。ちなみに2位は稲尾和久の353奪三振(1961年)、3位は金田正一の350奪三振(1955年)。先述したように、先発もリリーフも兼ねていた時代である。200イニングを投げることすら珍しい時代にこれだけの三振を奪うのは、物理的に考えても不可能だろう。1980年以降、この記録にもっとも近づいたのは野茂英雄(近鉄)の287奪三振(1990年、1991年)。そしてダルビッシュ有(日本ハム)の276奪三振(2011年)。いずれも驚異のペースで三振を奪ったが、401には遠く及ばなかった。
ただ、通算奪三振記録だとどうだろうか。確かに、金田の4490奪三振はとんでもない大記録だ。単純に計算してもシーズン200奪三振を20年続けても4000奪三振。しかし、野茂やダルビッシュが250を超える三振を奪ったように、数字上まったく可能性がないわけではない(限りなく難しい記録ではあるが......)。
そう考えると、藤本英雄の防御率0.73もそうだ。今季、防御率1.23と圧倒的な記録をマークしている田中将大でさえ、歴代25位にも入っていない。上位のほとんどが1930~1940年代の記録で、今の時代に0点台の防御率を叩き出すことは、まずありえないだろう。しかし、可能性という部分では捨てきれない。野田浩司の1試合19奪三振、クルーンの162キロも同様だ。
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