【プロ野球】「殺気」に満ちていた社会人時代の攝津正のピッチング
和田毅、杉内俊哉が抜けた今季、ソフトバンクのエースとして奮闘する攝津安倍昌彦の投魂受けて~第18回 攝津正(ソフトバンク)
引き受けてくれるかどうかは別として、「流しのブルペンキャッチャー」で受けておけばよかった、頼んでみればよかったと、今になって悔やんでいる投手が何人かいる。
昨年パ・リーグ新人王の西武・牧田和久投手(当時・日本通運)がそうだし、阪神のセットアッパー左腕・榎田大樹(当時・東京ガス)もそのひとりだ。しかし、なんといっても悔しいのは、今やソフトバンクのエースにのし上がった攝津正投手(当時・JR東日本東北)投手、その人である。
秋田経法大付高(現・明桜高)から社会人のJR東日本東北に進み、4年目からはチームのエースとして5年間投げ続けた。その間に、おそらく10回は彼の投球を見ているだろう。妙な縁があって、都市対抗や日本選手権だけでなく、静岡大会とか京都大会とか、小さな地方大会でも、なぜか彼とは出会っていた。
そんな「縁」に気がついておけばよかった。
何度となく、彼の好投、熱投を目の当たりにしながら、「流しで!」とそそられなかったのは、スタンドから見ていて「すごいボール」が見当たらなかったからなのかもしれない。
スピードは135キロ前後。「140」を超えたガン表示は見たことがなかった。変化球もカーブ、スライダーに、チェンジアップの「沈む系」。
投げるボール以上に、いつも感心させられたのは、その投げっぷりだった。
どんな場面でも、渾身のピッチングで相手打線に挑む。とりわけ、走者をスコアリングポジションに置いたときの「殺気」は、ネット裏にも伝わってきた。
ピンチになるほど、打者の体の近くに投げ込んでいく攝津。シュート回転した速球でバットを根元から真っ二つにされ、手元に残ったグリップだけを手にしてうなだれてダッグアウトに戻る打者を、マウンドをおりながらまだ睨みつけている攝正の姿には、「投魂」がほとばしっていた。
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著者プロフィール
安倍昌彦 (あべ・まさひこ)
1955年宮城県生まれ。早大学院から早稲田大へと進み、野球部に在籍。ポジションは捕手。また大学3年から母校・早大学院の監督を務めた。大学卒業後は会社務めの傍ら、野球観戦に没頭。その後、『野球小僧』(白夜書房)の人気企画「流しのブルペンキャッチャー」として、ドラフト候補たちの球を受け、体験談を綴っている。