【プロ野球】山﨑武司「交流戦のKスタでスタメン出場するのが目標であり、最高の楽しみ」
かつて中日時代にチームメイトだった山﨑選手と金村氏。 山﨑武司×金村義明 新春対談(1)
金村 タケシとは、オレがFAで中日に行った時以来の仲やけど、また中日に戻る日がくるとはなあ。
山﨑 自分としては、現役を続けるのならば中日しかないと思っていました。
金村 まあその話は後でゆっくりするとして、楽天での最終年となった昨シーズン、開幕してから6月に故障(右手薬指剥離骨折)するまで、オレが今まで見てきた中で一番調子が良かったと思うで。
山﨑 震災のこともあってファンにはCSに行くって約束していましたからね。前半でコケてしまうと難しいので、僕もチームもいいスタートが切れるよう、気持ちが入ってました。
金村 ただ、タケシはスロースターターだから心配してたんよ。暑くなるにつれて調子上げていくタイプやから。
山﨑 開幕が2週間遅れたことが、僕にとっては有利に働きました。それに、開幕からしばらくは敵地でのゲームばかりだったことも。とにかくベテランにとって寒さは大敵なんですが、関東や関西での試合は、普段仙台にいる僕らからしたらずいぶん暖かく感じるんですよ。
金村 暖かいところで試合できたことが、前半好調の原因でもあったわけやな。
山﨑 はい。ケガをするまでは星野(仙一)監督からも、「来年もやらせてやるわ」って言ってもらってましたから(苦笑)。
金村 それが最後はクビやもんなぁ......。
山﨑 シーズン終了直前にあらためて監督から呼ばれて、「来年は構想に入ってない」って言われて、「はい、わかりました」って。
金村 あっさりしたもんやな。でも、星野さんのもとで3回もやっているタケシやからこそ、星野さんの性格も良く知ってるし......。
山﨑 やらせてくださいって泣きついてもしょうがないですからね。最後も自分の好きなようにやらせてもらいますと。実際、星野監督が就任したとき、「ああオレはこの人に葬られるんだろうな」と思っていました。ただ、今年クビになるとは思ってなかったんです。甘かったですね。
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著者プロフィール
金村義明 (かねむら・よしあき)
1963年、兵庫県生まれ。報徳学園では3年夏の甲子園で4番・投手として全国制覇を達成。82年にドラフト1位で近鉄に入団。プロ入り後、打者に転向し"いてまえ打線"の中軸を担う。その後、中日、西武でも活躍し、99年に現役を引退。
現在は「現場主義」をモットーに、野球評論を中心に幅広い分野で活躍中。
金村義明オフィシャルWebサイト