【プロ野球】山﨑武司「交流戦のKスタでスタメン出場するのが目標であり、最高の楽しみ」 (3ページ目)
金村 嬉しいことやないか。今年は、何度もナゴヤドームに足を運ぶんやろうな。落合信子夫人の次はタケシの息子やな(笑)。
山﨑 学校帰りにナゴヤドームに来て、一緒に帰るって言ってますよ(笑)。
金村 しかし、楽天の7年間を振り返ってみてどうだった? ここまで楽天に思い入れが深くなるとは思ってた?
山﨑 いや、ぜんぜん。楽天に入団したときは、とにかくオリックスでのモヤモヤをスッキリさせてから引退したいと、チームはどこでもいいぐらいに思っていました。昨シーズンの楽天でもそうだったように、オリックスの最終年も調子は良かったんです。自分の中でももうちょっとできるんじゃないかって思ってたのに、オリックスでは首脳陣といろいろあったりして、試合に出られなかった。だから楽天に来た時は、やるだけやってダメだったら諦めようと思ってました。それが結果的に活躍できて、野球の面白さを改めて知り、ファンとの絆も深くなった。まさかここまで思い入れが強くなるとは……。
金村 それが最後は、楽天退団が決まって大号泣やもんな。
山﨑 それだけに今年は交流戦で仙台に行くのが最高の楽しみですね。交流戦のKスタでスタメン出場するのが僕の目標だし、どうしてもあのバッターボックスには立ちたいです。ただ嫁に言われたんですよ。「仙台でお世話になって楽天に未練を残すのはわかるけど、やっぱり名古屋で応援してくれる中日ファンに申し訳ないから、少しずつ忘れなきゃアカンよ」って。そうなんですけど、イベントとかで仙台に行くたびファンのみんなと会うとやっぱり良いなって思うし、まだしばらくは吹っ切れないでしょうね。
金村 高木監督、仙台ではタケシをスタメンにしてくれへんかなあ。DHがあるから可能性は十分あると思うけどな。それまで絶対にケガしたらアカンで。
著者プロフィール
金村義明 (かねむら・よしあき)
1963年、兵庫県生まれ。報徳学園では3年夏の甲子園で4番・投手として全国制覇を達成。82年にドラフト1位で近鉄に入団。プロ入り後、打者に転向し"いてまえ打線"の中軸を担う。その後、中日、西武でも活躍し、99年に現役を引退。
現在は「現場主義」をモットーに、野球評論を中心に幅広い分野で活躍中。
金村義明オフィシャルWebサイト
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