大谷翔平のMVP獲得の背景をMLBベテラン記者が明かす なぜ選手間投票と記者投票の結果が異なったのか (2ページ目)
【「感情的な選択」は嫉妬や反感ではなく......】
だからこそ、今回は"最多本塁打を打った選手"に報いたかったのではないかと私は見ている。シュワーバーはフィリーズというチームで、ドジャースほどスター選手に囲まれているわけではない。そのなかでチームを引っ張り、長打で結果を残し続けた選手だ。選手たちが彼を評価したのは、数字以上の意味があったのだと思う。選手は時に成績だけではなく、"同じ立場に立つ者としての感覚"で判断することがあるからだ。加えて、繰り返しになるが、単純に"たまには違う人に投票したい"という人間的な感情も大きく作用したのだろう。
こうした現象はMLBに限らない。NBAでも同じことが起きたことがある。
マイケル・ジョーダンは毎年MVPを獲ってもおかしくなかったが、実際にはそうならなかった。バリー・ボンズもそうだ。圧倒的な選手が常に同じように頂点を取り続ける状況になると、票を投じる側に"変化"を求める心理が働く。
時にはカーク・ギブソン(ドジャース時代の1988年に打率.290、25本塁打、76打点、31盗塁でMVP)やテリー・ペンドルトン(アトランタ・ブレーブス時代の1991年に打率.319、22本塁打でMVP。同年、ボンズは打率.292、25本塁打、116打点、43盗塁で2位)のように突出したスタッツを残せなくても、新しい顔、これまで選ばれなかったタイプの選手がMVPに推されることがある。今回はまさにそのパターンだと私は見ている。
だからこそ、今回の選手間MVP投票は、詳細なデータ分析よりも"感情的な選択"が勝った結果だと感じている。もちろん感情といってもネガティブな感情ではない。むしろ、「ほとんど毎年大谷にあげているようなものだから、誰かが少しでも近い成績を残したら、その人にあげよう」というごく自然な心の動きだ。
さらに言えば、選手たちは「どうせ本当のMVP(全米野球記者協会による正式投票)は大谷が獲る」と理解しているはずだ。それが前提にあるからこそ、選手間MVPでは"違う人に1票を投じる"ことに大した抵抗がなくなる。
これは嫉妬でも反感でもない。ただ、息抜きのように、あるいはバランスを取るように、"今年はこの選手にしてみよう"という気持ちだ。ア・リーグでローリーが選ばれ、ジャッジが外れたのもまさにその心理だ。今回の選手間MVPの結果には、そうした選手たちの人間らしさ、そして彼らならではの視点が色濃く反映されている。
個人的な悪意はまったくない。ただ「今年は違う選手の名前を書いてみよう」という程度の自然な流れが、シュワーバー、そしてローリーの受賞という形に表われたのだと、私は考えている。
著者プロフィール
杉浦大介 (すぎうら・だいすけ)
すぎうら・だいすけ 東京都生まれ。高校球児からアマチュアボクサーを経て大学卒業と同時に渡米。ニューヨークでフリーライターになる。現在はNBA、MLB、NFL、ボクシングなどを中心に精力的に取材活動を行なう
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