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佐々木朗希が完全復活を果たした要因 ドジャースのリリーフエースとなった背景にあったものとは (3ページ目)

  • 奥田秀樹●取材・文 text by Okuda Hideki

【ドジャースが復帰を急かさなかった背景】

 ドジャースは、過去の教訓から学んでいた。2007年のボストン・レッドソックスの松坂大輔、2014年のヤンキースの田中将大のケースである。

 レッドソックスはポスティングフィーに5111万1111ドル11セント(約76億6666万6700円)を支払い、松坂との独占交渉権を獲得、総額5200万ドル(約78億円)の6年契約を結んだ。獲得に1億ドル(約150億円)以上を費やしたため、球団は1年目からエースとしてフル稼働を期待し、松坂自身もそれに応えようと全力で投げた。松坂は1年目の公式戦で204回、ポストシーズンでも19回2/3を投げ、世界一に貢献したが、3年目以降は肩や肘のケガに苦しむようになった。

 田中も同様だ。ヤンキースは総額1億5500万ドル(約232億5000万円)の7年契約に加え、ポスティング譲渡金として2000万ドル(約30億円)を支払う莫大な投資を行なった。田中は最初の14試合で11勝1敗、防御率1.99という圧倒的なピッチングを披露したが、その反動で肘に負担がかかっていた。1年目から6季連続で2ケタ勝利を挙げたものの、デビュー当初の圧倒的なピッチングを取り戻すことはできなかった。

 多くの人が知るように、ボールの違い、登板間隔の違いなど、日米のプロ野球には環境の差が甚だしい。ドジャースはそうした経緯から学び、思いきった対応をした。12年総額3億2500万ドル(約487億5000万円)という超大型契約に加え、ポスティング譲渡金5062万5000ドル(約76億円)という空前の投資をしながら、あるいは12年という長期契約だからこそ、1年目に無理をさせなかった。MLBの環境に適応する時間を与えた。その結果、山本は2年目の今季、シーズンを通してローテーションを守った唯一の先発投手となり、エースとしてチームを牽引している。

 だから今年も、ドジャースは佐々木に対して急がせなかった。5月に肩のインピンジメント(腱板障害)で離脱したが、特定の部位に明確な損傷があったわけではない。

 5月14日、佐々木はこう説明していた。

「画像を撮っても、これといった原因は見つかっていません。治すために、その原因を探す作業になります。悪いところがあるわけではないので、手術をするような状態ではありません」

 つまり特定の動作をしたときだけ痛みが出るという状況だった。ロバーツ監督も復帰時期について「正直なところ、わかりません。本人にも、復帰時期に関して具体的な期待や期限はいっさい設けないことを伝えました」と語っていた。その後、佐々木は2週間ほどで投球を再開したが、6月16日に再びシャットダウン。肩の痛みが再発してステロイド注射(コルチゾン注射)を受ける事態にまで至っていた。

つづく

著者プロフィール

  • 奥田秀樹

    奥田秀樹 (おくだ・ひでき)

    1963年、三重県生まれ。関西学院大卒業後、雑誌編集者を経て、フォトジャーナリストとして1990年渡米。NFL、NBA、MLBなどアメリカのスポーツ現場の取材を続け、MLBの取材歴は26年目。幅広い現地野球関係者との人脈を活かした取材網を誇り活動を続けている。全米野球記者協会のメンバーとして20年目、同ロサンゼルス支部での長年の働きを評価され、歴史あるボブ・ハンター賞を受賞している。

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