【MLB日本人選手列伝】石井一久:確かな足跡を残したサウスポーの鷹揚な性格と繊細な野球観 (2ページ目)
【メジャー移籍時には自分のピークは過ぎていた】
アメリカでの4年間での体験を石井は、こう振り返る。
「僕がメジャーリーグに移籍した時点では、投手としてのピークは過ぎていたと思います。それでもなんとか通用するくらいのレベルでした。でも、中4日で登板するのはたいへんでしたね。シーズンが進んでいくと、自分の体の内部の"充電池"自体が減っていく感じで、とても100パーセントまでは回復しない。80、90パーセントだったとしても、先発として試合を作るのが仕事でした」
当時、「先発は終わってからも、すぐに次回登板に向けて仕事が始まります」と話していたのが印象的で、強制的に体に回復を促すため、アイシングを欠かさず、ステーショナリーバイクを漕いだり、電気治療に取り組んでいた。
できる限りのメンテナンスをしなければ、強打者との対戦への準備が間に合わなかった。
「当時、メジャーリーグはパワー全盛時代でした。バリー・ボンズやサミー・ソーサとの対戦は忘れられないですね。ボンズは侍みたいな感じで。彼の場合は敬遠も多かったので、なかなか勝負してもらえなかった。だから、ストライクが来たら一撃で仕留める気合いが凄いんですよ。それが侍っぽい。ソーサは、ネクストバッターズ・サークルから打席までのわずかな距離から、気合いがすごくて。なんだか闘牛と対戦するような感じがしました」
石井と筆者は、2014年、2015年とメジャーリーグのハイライト番組で週に一度は顔を合わせることになったが、さまざまな知見があふれ、勉強になった。
「投手が投げる球の角度と、打者がスイングするバット。接触可能な角度が少なければ少ないほど、投手有利」
「みなさん、二盗を狙う一塁走者は二塁ベース寄りの右足に重心をかけてリードをすると思うじゃないですか。反対なんです。一塁ベース寄りの左足に重心をかけます。なぜなら、二塁を狙うならば、左足を踏ん張ってスタートするからです。逆に右足に体重をかけるのは、帰塁しやすいようにしてるんです」
鷹揚な性格からは想像できないかもしれないが、石井一久は野球に対しては繊細で、自分の力を客観視できる人だった。
【Profile】いしい・かずひさ/1973年9月9日生まれ、千葉県出身。東京学館浦安高(千葉)。1991年NPBドラフト1位(ヤクルト)。2002年1月にポスティングシステムによりドジャースと契約。2006年1月に東京ヤクルトと契約し、日本球界に復帰。2013年いっぱいで現役を引退したあと、楽天で取締役GMや監督を歴任し、現在は同チームの取締役GMを務める。
●NPB所属歴(18年):ヤクルト(1992〜2001)―東京ヤクルト(2006〜07)―埼玉西武(2008〜13)
●NPB通算成績:143勝103敗1セーブ4ホールド4ホールドポイント(419試合)/防御率3.63/投球回2153.1/奪三振2115
●MLB所属歴(4年):ロサンゼルス・ドジャース(2002〜04)−ニューヨーク・メッツ(05) すべてナショナル・リーグ
●MLB通算成績:39勝34敗(105試合)/防御率4.44/投球回564.0/奪三振435
著者プロフィール
生島 淳 (いくしま・じゅん)
スポーツジャーナリスト。1967年宮城県気仙沼市生まれ。早稲田大学卒業後、博報堂に入社。勤務しながら執筆を始め、1999年に独立。ラグビーW杯、五輪ともに7度の取材経験を誇る一方、歌舞伎、講談では神田伯山など、伝統芸能の原稿も手掛ける。最新刊に「箱根駅伝に魅せられて」(角川新書)。その他に「箱根駅伝ナイン・ストーリーズ」(文春文庫)、「エディー・ジョーンズとの対話 コーチングとは信じること」(文藝春秋)など。Xアカウント @meganedo
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