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大谷翔平&デコピンを描いた壁画アーティストの思い 「ドジャースと、大谷と、コービーとロサンゼルス」 (3ページ目)

  • 奥田秀樹●取材・文 text by Okuda Hideki

【謙虚さこそ、ふたりに共通する最大の要素】

ドジャースの面々が一面に描かれ、夕日にはより一層映えるという photo by Okuda Hidekiドジャースの面々が一面に描かれ、夕日にはより一層映えるという photo by Okuda Hideki

――あなたはそもそもコービー・ブライアントの大ファンで、その生きざまに影響を受けてきたんですよね?

ゼルメーニョ「もちろんです。僕は周りの人に"働きすぎだ"とよく言われます。でもコービーの『先に進みたいなら努力しろ』という考え方に共感してきたんです」

――大谷とコービー・ブライアントの両選手に共通点があると思いますか?

ゼルメーニョ「共通するのは"偉大さ"ですね。コービーはバスケットボールのコート上では厳しく冷たい人だと思われていたかもしれません。でも実際はとても優しい人でした。瞑想をしたり、食事に気を配ったり、とても真剣に取り組んでいました。人々は彼を"怖い人"と誤解することもありましたが、実際は本当に優しかった。

 僕が思うに大谷も同じです。ふたりとも謙虚で才能ある人間です。たとえば、コービーがどこかに現れたとき、わざわざ歩み寄って握手したり、サインしたり、子どもと一緒に写真を撮ったりしたという話をたくさん聞きます。そういうことは大谷もきっとするでしょう。競技のなかでのスタイルは違いますが、フィールドの外では本当に似ていると思います。史上最高の選手のひとりでありながら、どちらもとても謙虚。それがふたりに共通する最大の要素だと思います」。

――大谷選手の顔を描くときに難しかった点はありますか?

ゼルメーニョ「大谷は輪郭がシャープじゃないんです。たとえばフレディ・フリーマンなら大きなアゴがあるし、ムーキーなら立派なヒゲがあって特徴的です。そういうわかりやすい特徴があるんですよ。でも大谷は"彫りが深い"タイプではない。もちろんすごくアスリートらしくて、体格も力強いんですが、顔つきは柔らかい。『ベビーフェイス』という言葉を使いたくはないけど、近いニュアンスですね。だから、壁画にする時にはコントラストや奥行きがしっかり出る写真を選ばないといけないんです。影とハイライトをうまく表現して、壁から浮き出るように見せる必要がある。そこが唯一の難しい点でした」

――ホットドッグをかじるデコピンのアイデアについては?

ゼルメーニョ「僕は子どもの頃から"ドジャードッグ"のぬいぐるみが大好きだったんです。あと、あの大きなフォームフィンガー(巨大な手の形をした応援グッズ、 柔らかい発泡スチロールやスポンジでできていて、手にはめて使う)とかもね。そういうアイテムをよく買っていました。だから今回は、それをちょっとユーモラスに加えたかったんです。かわいくて面白い要素にすることで、スポーツに興味がない人でも絵を楽しめるようにしたかった。そういう"遊び心"を入れたんです」

 ゼルメーニョの創造力の源泉は、故郷ベニスの文化だ。海沿いのボードウォークには音楽家やパフォーマーが集い、誰もが自分らしさを表現している。そんな自由な空気の中で、彼はスプレーペイントを学び、5年かけて技術を磨いた。

「ベニスは僕をアーティストにした街です。誰もが自分に正直でいられる。その自由さが創造性を育んでくれたんです」
  
 病み上がりでもマウンドに立ち、チームへの責任を果たす大谷。常に自己改善を目指すその姿は、"マンバ・メンタリティ"を体現する。ゼルメーニョの壁画は、その生きざまへのオマージュであり、街の人々の心に新たなヒーロー像を刻む。

 ロサンゼルスはスポーツ、音楽、アートが交差する街だ。そのなかで、大谷は単なる野球選手を超え、創造の源泉となっている。ゼルメーニョの筆が描いた大谷とデコピンの姿は、街を彩るだけでなく、人々の心を温める。ロサンゼルスという街が生む共鳴の物語は、これからも続いていく。

著者プロフィール

  • 奥田秀樹

    奥田秀樹 (おくだ・ひでき)

    1963年、三重県生まれ。関西学院大卒業後、雑誌編集者を経て、フォトジャーナリストとして1990年渡米。NFL、NBA、MLBなどアメリカのスポーツ現場の取材を続け、MLBの取材歴は26年目。幅広い現地野球関係者との人脈を活かした取材網を誇り活動を続けている。全米野球記者協会のメンバーとして20年目、同ロサンゼルス支部での長年の働きを評価され、歴史あるボブ・ハンター賞を受賞している。

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