イチローが現在のMLBでプレーしたら−−殿堂入りに際して思う独自の価値の崇高さと野球における多様性 (2ページ目)
【1世紀前の選手を21世紀に甦らせた功績】
シーズン最多安打記録を更新し、前記録保持者のシスラーの家族に挨拶するイチロー photo by Getty Images 筆者は今回、イチローがアメリカ野球殿堂入りを果たすことで、あらためて野球における多様性の意義が再認識されることを願っている。
TVドキュメンタリー作家、ケン・バーンズは、「イチローのような選手が活躍することで、野球界にとどまらず、アメリカという国にもプラスの影響を与える」と語っていた。
MLB公認歴史家のジョン・ソーンは、イチローが2016年にメジャーリーグで通算3000本安打を達成した際、ニューヨーク州アルバニー近郊の自宅で、「イチローの偉大さは、パワー全盛の時代にあって、まるで魔法の杖を振るような独特のスイングで、10年連続200安打という前人未到の偉業を成し遂げたことにある。加えて守備や走塁でも常に超一流だった」と才能を全面的に称賛した。
とりわけ、バーンズ氏が歴史家として評価したのは、イチローが20世紀初頭の偉大な選手たちを21世紀に甦らせた点だった。2004年、イチローは1920年にジョージ・シスラーが残したシーズン最多安打257本の記録を更新。この過程でシスラーの名前が再び注目され、さらにはタイ・カッブ(通算4189安打、通算打率.366、殿堂入り第一号選手)の功績にも光が当たった。「偉大な記録に再び光が当たり、世代を越えて選手たちの技術や偉業が語り継がれるようになった。野球の魅力の一つは、その膨大な記録を通じて世代を越えた比較が可能になることにある」と、ソーンは野球の持つ歴史的価値をあらためて強調した。
イチロー本人も、偉大な先人への敬意を示す。2004年10月1日、シアトルでのテキサス・レンジャーズ戦でシスラーの記録を塗り替えた際、シスラー家の人たちも球場に招待されていた。シスラーの長女フランシスさんは、記録を破ったイチローがスタンド最前列にいる家族のもとに歩み寄り、握手を交わした際に「父は、あなたのような人物が記録を塗り替えてくれたことをとても喜んでいるはずです。それは私が確信しています」と、心から祝福の言葉を伝えた。
イチローはその後もシスラー家との交流を大切にし、2009年、オールスターゲームでセントルイスを訪れた際、シスラーの墓を訪れ、花を供えた。さらに、2010年にフランシスさんが87歳で他界したときには、大きな白い薔薇のブーケを送り、深い哀悼の意を表した。フランシスさんの息子、ボー・ドロシェルマンさんは2019年のイチローの引退に際し、筆者にこう語った。ちなみにドロシェルマンはイチローでなく、常に「Mr.スズキ」と敬意を込めて呼んだ。
「2004年9月、Mr.スズキが祖父の記録に挑戦し、私たちが招かれたセーフコフィールドの3連戦で塗り替えた。私たち一家は記録を抜かれたことでがっかりすることはまったくなかった。もちろん私たちは記録が84年間も破られなかったことを誇りに思ってきましたが、すべての記録は破られるためにある。そしてあの機会にシスラーの名前がまた世の中に出て、多くの人が彼のキャリアについて熱く語ってくれたのがうれしかった。その上で記録を塗り替えたのがMr.スズキだったのもよかった。
私たちは彼が祖父と同じで、まず人間として紳士で、野球を正しくプレーし、野球というスポーツに大変な敬意を払ってきたと知っている。ふたりはとても似ている。そんな人物に記録を塗り替えられてよかったです」
野球は長い歴史を持っている。未来に向けて進化を続けることは必要だ。だが、優れた技術や美徳は大切にし、進化の中でも継承していかなければならない。故ヘンダーソンが語った「自分が今、MLBでプレーしていれば、また違った野球を見せられると思うんだが」との言葉を思い出し、イチローが今27歳でメジャーデビューしたらどうなるかを勝手に想像する。ゴロではなく、フライを打つようにフロントに指示されたら、彼は何と言うのだろうか。
思い出されるのは、イチローが試合前の打撃練習でいつも見せていた光景だ。ライトと右中間のフェンスをはるかに越える高く弧を描いた打球を、次々と打ち上げていった。漫画のように完璧で、ミスショットを目にすることはほとんどなかった。
現代のMLBのパワーヒッターたちは力でホームランを打つが、イチローの打撃はまさに物理学の実演のようで、テコの原理や打ち出し角度、そして力の配分が絶妙に融合し、まさに芸術の域に達していた。大技も小技も自在なイチロー。ゆえに彼のプレーは予測不可能で、ファンは一挙手一投足から目を離すことができなかった。
今、あらためてイチローがMLBの舞台で活躍する姿を見てみたいと思う。
著者プロフィール
奥田秀樹 (おくだ・ひでき)
1963年、三重県生まれ。関西学院大卒業後、雑誌編集者を経て、フォトジャーナリストとして1990年渡米。NFL、NBA、MLBなどアメリカのスポーツ現場の取材を続け、MLBの取材歴は26年目。幅広い現地野球関係者との人脈を活かした取材網を誇り活動を続けている。全米野球記者協会のメンバーとして20年目、同ロサンゼルス支部での長年の働きを評価され、歴史あるボブ・ハンター賞を受賞している。
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