大谷翔平を取り巻く問題へのアメリカ人記者の視点 「わからない」という論調は言葉の壁が大きい (2ページ目)
【"ひとりの大谷"への違和感】
ティム・キヨン記者は、スポーツ専門局「ESPN」電子版などに寄稿するベテランだ。1996年、コート内外で異端ぶりを発揮したNBAスター、デニス・ロッドマンを描いた『Bad As I Wanna Be』(邦題『ワルがままに』)は話題作となり、ベストセラー入りした。キヨン記者は洞察力に富み、スポーツの舞台裏や選手の人間性に焦点を当てた記事を得意とする。
筆者がキヨン記者と話すようになったのは2018年、大谷のメジャー1年目のことだった。彼は大谷の特集記事のために、日本に足を運び、滞在し、花巻東高校(岩手)の佐々木洋監督、北海道日本ハムファイターズの栗山英樹監督、吉井理人投手コーチ(現・千葉ロッテマリーンズ監督)らに会ってインタビューをした。
日本語は話せないが、文化を理解し、大谷が育ってきた環境を解き明かそうと、真摯な姿勢で取材をしていた。2021年、2023年もESPNで大谷について長い記事を書いており、今回も3月27日に長文の記事が掲載された。その記事では、大谷の成功を支えてきた水原一平通訳が突如消えてしまったことへの違和感に焦点が当てられていた。
米国開幕前、オープン戦恒例のロサンゼルスのフリーウェイシリーズ(本拠地が高速道路で往来できる場所に位置)で、ドジャースはエンゼルスと対戦した。その試合前、大谷はひとりでフィールドを横切り、元チームメイトたちに挨拶に行った。
それがキヨン記者にとってはニュースだった。過去6年間は水原なしの大谷は想像できなかったからだ。通訳であるだけでなく、練習相手にもなり、スケジュールも管理し、あらゆる世話をした。大谷のリズムは水原のリズムで、選手用ラウンジの同じテーブルで食事をし、大谷が昨季運転免許を取得するまで、毎日ふたりで球場に通った。
エンゼルスのフィル・ネビン監督は以前「翔平は毎朝目を覚まして、どうすれば地球上で最高の野球選手になれるかを考えている」と説明していたように、それは水原がすべての仕事をこなしてくれるからこそ、余計なことで他者と絡む必要もなく野球に集中できた。
2018年のメジャー1年目、多くの関係者が「いずれ二刀流を断念しどちらかひとつを選択しなければならないときが来る」と決めつけていた。だが、大谷は不可能を可能にし、2021年から2023年まで野球史上最高のパフォーマンスを続けた。それを支えたのは水原だった。
エンゼルスのチームメイトたちは、大谷が賭けをするとは信じられないし、水原がお金を盗んだことも信じられないと証言する。しかしながら実際のところ、彼らも大谷について多くを知らない。大谷は禁欲主義的にホテルから球場に行き、球場からホテルに戻る生活を続けていたからだ。ふたりのパートナーシップは完璧に機能していたかに見えた。しかしスキャンダルが発覚、関係にピリオドが打たれた。
大谷は会見で「僕自身も信頼していた方の過ちに悲しくショックですし、今はそういう風に感じています」と切り出した。そしてカメラを見つめながら、「彼が僕の口座からお金を盗んで、なおかつみんなにウソをついていた。結論から言うとそうなります」と続けた。
キヨン記者は最も信頼し、一緒に成功してきた人物を失ったことについてどう感じているのか、直に質問したかっただろう。だが大谷は「これが今、お話できるすべてなので、質疑応答はしません」と打ちきっている。
後編につづく:大谷翔平の取材において「誰もが悩まされてきた」こととは?
プロフィール
奥田秀樹 (おくだ・ひでき)
1963年、三重県生まれ。関西学院大卒業後、雑誌編集者を経て、フォトジャーナリストとして1990年渡米。NFL、NBA、MLBなどアメリカのスポーツ現場の取材を続け、MLBの取材歴は26年目。幅広い現地野球関係者との人脈を活かした取材網を誇り活動を続けている。全米野球記者協会のメンバーとして20年目、同ロサンゼルス支部での長年の働きを評価され、歴史あるボブ・ハンター賞を受賞している。
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