WBCが世界的なイベントになるには? ヨーロッパ勢の躍進、トラッキングデータ...第5回大会が示した意義と可能性
大谷翔平対マイク・トラウトという、野球ファンにとってたまらない"夢の対決"で第5回WBC(ワールド・ベースボール・クラシック)は閉幕した。
3大会ぶりの優勝に日本中が歓喜した決勝から時計の針を10日間巻き戻すと、アメリカでプールCとDの開幕戦が行なわれた3月12日(日本時間)にさかのぼる。ドミニカ共和国対ベネズエラというメジャーリーグファン垂涎のカードは、期待に違わず熱戦となった。ドミニカの先発、サイ・ヤング賞投手のサンディ・アルカンタラからベネズエラが3点奪って迎えた5回表の途中、私はネット配信のチャンネルを泣く泣く切り換えた。
アメリカ対イギリスが、まもなく始まろうとしていたからだ。
WBC初出場のイギリスはコロンビア戦に勝利するなど、歴史的快挙を達成したこの記事に関連する写真を見る
【イギリス人記者が見たWBC】
MLBの主戦場であるアメリカに対し、サッカーやラグビー、クリケットが盛んなイギリスで野球は極端に馴染みの薄いスポーツだ。だが、当地にも熱心なファンはいる。ふだん、フリーランス記者としてサッカーを中心に健筆をふるうグレーム・マクファーソンは、物珍しいひとりだ。
「野球ファンとして本当に興奮したよ。チーム、そして国にとって大きな瞬間だった。しかも、初めてのWBCで最初に対戦したのがアメリカだ。我々の国に野球があるとは知らないかもしれない観衆の前で注目を集めたのは、イギリス球界にとって本当にすばらしい瞬間だった」
マクファーソンはスコットランドでセルティックサポーターとして育ってサッカー記者になった一方、米国旅行中にたまたまMLBを見る機会があり、その魅力に取り憑かれてボストン・レッドソックスを応援するようになった。
私は2005年にセルティックへ移籍した中村俊輔(現・横浜FCコーチ)の一挙手一投足をスポーツ紙で報じる通信員としてスコットランドで4年間暮らした時、野球の話題を振ってきたマクファーソンと意気投合した。
2006年の第1回WBCで日本が初優勝を飾った頃、イギリスでは視聴する手段がなかった(もしかして私が視聴手段を知らなかっただけかもしれないが......)。当時、週に一度だけ民放のテレビ局で深夜にMLB中継がされていて、野球観戦を楽しめる貴重な時間だった。
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プロフィール
中島大輔 (なかじま・だいすけ)
2005年から英国で4年間、当時セルティックの中村俊輔を密着取材。帰国後は主に野球を取材。新著に『山本由伸 常識を変える投球術』。『中南米野球はなぜ強いのか』で第28回ミズノスポーツライター賞の優秀賞。内海哲也『プライド 史上4人目、連続最多勝左腕のマウンド人生』では構成を担当。