イチロー「奇跡の60試合」。
メジャー短縮シーズンでその偉業に再注目 (2ページ目)
2004年はイチローが渡米して4年目のシーズン。メジャー1年目からシーズン242安打を放ち、首位打者(打率.350)、新人王、MVPを獲得したイチローにとってこの年は、史上初めてデビューしてから4年連続シーズン200安打の偉業達成に注目が集まっていた。
だが、このシーズンは開幕から好不調の波が激しかった。4月は月間26安打に終わり打率は.255だったが、5月は月間50安打を放って打率.400をマーク。しかし6月はまた低迷し、開幕からの3カ月で計105安打。シーズン200安打を達成するには決して悪いペースではないが、6月終了時点での105安打はイチローがメジャーに来てから最少だった。
全米スポーツ誌ESPN.comはイチローの特集記事を組み、「メジャーのピッチャーがようやくイチローにアジャストし、彼の攻撃力が落ちた。我々もイチローのすごさを考え直すべきだ」とまで書いた。
イチローの不安定な成績に比例するように、マリナーズも低迷していた。6月終了時点で31勝45敗と、首位とは13.5ゲーム差。7月に入ってもセントルイス、トロント、シカゴの遠征9連戦を全敗するなど、首位から17ゲーム差という泥沼の状態でオールスター休みを迎えた。
こんな最悪なチーム状況のなか、イチローの歴史的快進撃が始まった。チームは屈辱的な9連敗を喫したが、イチローは遠征中33打数11安打の好結果を残した。
イチローの調子のバロメーターは、ア・リーグ西地区のライバルであるアスレチックスとエンゼルスとの対戦でわかる。
当時のアスレチックスは、ティム・ハドソン、バリー・ジト、マーク・マルダーというメジャーでも屈指の"3本柱"がいた。7月はそのアスレチックスと5試合対戦したのだが、イチローは彼らを苦にすることなく24打数13安打と打ちまくった。
ただ、この強力3本柱を擁するアスレチックスに対し、イチローはメジャー1年目から特別苦手としていたわけではないが、この7月の打ちっぷりは凄まじかった。
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