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大谷翔平の同僚、プホルスとイチローに
共通する野球への探究心 (2ページ目)

  • ブラッド・レフトン●文 text by Brad Lefton
  • photo by Getty Images

 思えばイチローもそうだった。2012年にシアトル・マリナーズからニューヨーク・ヤンキースに移籍して、シアトルに戻るたびにファンは温かく歓迎した。2017年には、フロリダ・マーリンズの選手として3年ぶりにシアトルに戻った際、3連戦の最終打席でホームランを放ち、大歓声を受けた。

 アメリカのスポーツ界では、ホームのファンは相手選手を応援しない。しかし、プホルスとイチローは稀で、「古巣に帰れない」という言葉は当てはまらない。もちろん、そのチームでいかに活躍したかも大きいが、野球に対してリスペクトする姿勢も大きな要因である。

 プホルスとイチロー。プレーヤーとして見ると、あまりにも対照的なふたりである。

 ドミニカ共和国出身のプホルスは、身長191センチのがっちりした体の右打者なのに対し、イチローは180センチの細身の左打者。打順も、プホルスはおもにクリーンアップだが、イチローはリードオフマン。さらに、プホルスはメジャー歴代6位の646本塁打に対し、イチローはメジャー歴代6位となる2514本のシングルヒットを放っている。

 そんな対照的なふたりだが、デビューしてから関わりが多い。

 2001年、ともにメジャーデビューを果たし、プホルスはナ・リーグの新人として史上初となる3割、30本塁打、100打点をマーク。イチローはア・リーグトップとなるシーズン242安打を放ち、打率.350で首位打者を獲得。ともに圧倒的な数字を残し、新人王に輝いた。

 それからもふたりはメジャー屈指の名プレーヤーとして存在した。史上初となるルーキーイヤーから12年連続30本塁打を放ったプホルス。10年連続シーズン200安打の記録をつくったイチロー。

 また、メジャー通算3000本安打を達成した選手はこれまで32人いるが、1本目が21世紀だったのは、プホルスとイチローのふたりだけである。

 イチローは引退するまでの19年間でプホルスと顔を合わせるのは、交流戦かオールスターがほとんどだった。リーグも違うし、そもそもスタイルがまったく違うふたりだが、ともに感じるところはあった。

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