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【夏の甲子園2026】15年ぶりの現場復帰 62歳の元校長はなぜ100日あまりで市立福山を初の甲子園へ導けたのか

  • 元永知宏●文 text by Tomohiro Motonaga

 今から15年前と言えば、高校野球の世界ではずいぶん昔のことのように感じる。

 2011年夏の甲子園を制した日大三(西東京)の小倉全由監督をはじめ、帝京(東東京)の前田三夫監督、智辯和歌山の高嶋仁監督など、日本一を目指してしのぎを削った名将たちは、すでにグラウンドを去った。当時から今も現役で指揮を執っている名将と言えば、明徳義塾(高知)の馬淵史郎監督くらいだろう。

 また2011年夏の甲子園には、花巻東(岩手)の2年生・大谷翔平が出場していた。

市立福山を春夏通じて初の甲子園へと導いた小田浩監督 photo by Ryuki Matsuhashi市立福山を春夏通じて初の甲子園へと導いた小田浩監督 photo by Ryuki Matsuhashiこの記事に関連する写真を見る

【15年ぶりに監督として指導の現場へ】

 この15年の間に、高校野球は大きく変わった。「エースと心中」と考える監督は減り、複数投手による継投が当たり前になった。投手には投球数制限が設けられ、低反発の新基準金属バットも導入された。そして今年からは、DH(指名打者)制が採用されている。

 そんな変化の時代に、15年間現場を離れていた監督が、この夏、甲子園に戻ってきた。

 小田浩は、広島商の3年生だった1982年夏、甲子園で準優勝。名門の二塁手として活躍したのち、順天堂大を経て保健体育科の教諭となった。1989年に西条農(広島)の監督に就任し、1991年、1993年夏に甲子園出場。2005年には開校間もない総合技術(広島)の監督に就き、2011年春には同校を選抜初出場へと導いた。

 その後は野球部を離れ、校長も務めた。進学校として知られる市立福山(広島)では、広島商の元監督・迫田守昭らが指導の土台を築いてきた。この春、そのバトンを受け継ぐ形で小田が監督に就任した。62歳にして、じつに15年ぶりの現場復帰だった。

 選手として甲子園で準優勝を経験し、監督としても甲子園に出場しているとはいえ、15年のブランクは決して小さくない。本人も「采配がちょっとさびついている」と苦笑していた。

 それでも、広島大会決勝では母校・広島商に競り勝ち、市立福山を春夏通じて初の甲子園出場へと導いた。それまで夏の広島大会でベスト16が最高成績だったことを考えれば、まさに快挙と言っていいだろう。

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著者プロフィール

  • 元永知宏

    元永知宏 (もとなが・ともひろ)

    1968年、愛媛県生まれ。 立教大学野球部4年時に、23年ぶりの東京六大学リーグ優勝を経験。 大学卒業後、ぴあ、KADOKAWAなど出版社勤務を経て、フリーランスに。著書に『荒木大輔のいた1980年の甲子園』(集英社)、『補欠の力 広陵OBはなぜ卒業後に成長するのか?』(ぴあ)、『近鉄魂とはなんだったのか? 最後の選手会長・礒部公一と探る』(集英社)など多数。2018年から愛媛新聞社が発行する愛媛のスポーツマガジン『E-dge』(エッジ)の創刊編集長

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