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覚えてまっか? あの元タイガース助っ人たちを辺境のプロ野球で発見 (2ページ目)

  • 阿佐智●文・写真 text&photo by Asa Satoshi

 そして短いイタリアでのシーズンが終わると、つかの間のオフを故郷のベネズエラで過ごし、その後、ニカラグアでリリーフ投手として投げている。

「まだ90マイル(約144キロ)は出るよ」

 そう言って剛腕の健在ぶりをアピールするダーウィン。夏のシーズンを過ごしているヨーロッパには50歳を超えてもまだ現役で投げているキューバ人投手がいるが、そこまでやるのかという問いにはこう答えた。

「そこまでは......わからないね。でも、まだまだ投げられる限りはやるよ」

 今となっては待遇のよかった日本でのプレーはいい思い出だが、試合中に停電で球場が真っ暗になるのが日常茶飯事というニカラグアの環境にも、それを苦にすることなく、プレーする場所がある限り世界中どこにでも行くつもりだと、ダーウィンは言う。

 パンアメリカンハイウェイは、ニカラグアからコスタリカを通りパナマに至る。

 パナマのウラカ州サンチアゴ・デ・ベラグアス。この町にパナマのウインターリーグに所属するブラボス・デ・ウラカというチームがある。

 パナマでは、年中行なわれているアマチュアリーグが人気を博し、プロ野球といえば衛星中継で放送される米国メジャーリーグというお国柄だけに、ウインターリーグの人気は決して高くない。チャンピオンシップだというのに、観客は200人にも満たない。

 そんな閑散としたスタンドをよそに黙々とプレーしていたのが、ドミニカ人のネルソン・ペレスだ。彼もまた、阪神のユニフォームに袖を通した"元虎戦士"である。

 2007年にシカゴ・カブスのマイナーでデビューを飾ったものの、アメリカでは2Aどまり。その後、メキシカンリーグでプレーしたが、ジャパニーズドリームを求めて2015年にルートインBCリーグの石川ミリオンスターズに入団。ここで格の違いを見せつけると、攻撃力不足に悩む阪神にシーズン途中で引き抜かれた。

 阪神入団後は、外国人枠の関係でなかなか一軍昇格のチャンスに恵まれなかったが、二軍の試合ではシーズンの半分しかプレーしなかったにもかかわらず、チーム最多の14本塁打を放った。

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