日米2000本の青木宣親をめぐる、偉大な恩師との「背番号秘話」 (3ページ目)

  • 長谷川晶一●文 text by Hasegawa Shoichi
  • photo by Getty Images

 この年の正月、青木は若松の自宅に自らの決意をしたためた年賀状を送った。そこには、 「必ずチームに貢献します。今年も宜しくお願い致します」と力強く書かれていた。

 若松は、自著『背番号1の打撃論』(ベースボール・マガジン社)で次のように述べる。

その年の秋季キャンプで一番頑張ったのが彼だった。キャンプが終わっても相当バットを振り込んだに違いない。年明けに彼の年賀状が届いた。 「今年はチームに貢献します」 力強い筆文字から「自分を使って下さい」という強い自己主張と、「必ず打ちますから」という自信がヒシヒシと伝わってきた。 こんな年賀状をくれる選手は今までのヤクルトにはいなかった。その勇気に感心した私は、そのシーズンはずっと彼の年賀状をバッグに入れていた。

 驚いたことに、ここで述べられている「青木からの年賀状」を若松は、その後十数年にわたってカバンに忍ばせ持ち歩いていたという。愛弟子・青木に対する若松の親愛の情はかくも深いのだ。

 歴代背番号《1》について、若松に話を聞いていると、特に青木に対する思い入れが強いような気がした。そこで、その理由を尋ねると若松はこう言った。

「池山や岩村はけっこうしっかりした身体をしていた。でも、青木は身体つきがオレにそっくりだった。池山、岩村と比べると、いちばんか弱かったし、ひ弱だったし。あの小さい身体であそこまで頑張ったというのは本当にすごいことだと思うよね」(『いつも、気づけば神宮に 東京ヤクルトスワローズ「9つの系譜」』長谷川晶一・著 集英社刊より)

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