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【高校野球】「選抜はごまかしの優勝でした」春の王者・大阪桐蔭の夏はなぜわずか3試合で終わったのか 西谷監督が見つめていた現実 (3ページ目)

  • 谷上史朗●文 text by Shiro Tanigami

 西谷が言った「ごまかし」とは、選抜で多用したエンドランを自嘲気味に表現した言葉だったのだろう。春は結果を残したものの、西谷が本来目指していた野球ではなかったのかもしれない。

「できるなら、もっとどっしりした野球で点を取りたいですよ。でも、それでは点が入らない。だから3番にも4番にもエンドランをさせたり、バスターをさせたりして、なんとかつないで勝ったのが選抜でした。まだまだ力不足です。夏はもう少ししっかり打って点が取れるように、毎日、山にこもってやっています(笑)」

 選抜後の春季大阪大会は、準決勝で関大北陽に敗れた。打線は迫力を欠き、西谷も「この春の戦いで、まだ力がないことをみんなわかったと思います」と、現状を冷静に受け止めていた。とはいえ、攻撃力や長打力は短期間で劇的に向上するものではない。それでも大阪桐蔭の春夏連覇に現実味を感じていたのは、歴代でも最強クラスと思えた投手陣の存在があったからだ。

 選抜で想像以上の成長を見せ、一気に評価を高めた2年生左腕の川本晴大。選抜後著しく力を伸ばした小川蒼介。そして、選抜では右肩の違和感から本調子ではなかった吉岡貫介が本来の状態を取り戻し、そこに石原慶人も加わる。この顔ぶれから大量点を奪うチームは、そう簡単には現れないだろうと思っていた。

 なかでも、夏を戦ううえで最大のカギを握ると見ていたのが吉岡だった。ただその裏で、誰も予想しなかったアクシデントが起きていたことを、この時はまだ知らなかった。

【夏の命運を握ったエース吉岡貫介】

 6月、富山での招待試合後、川本が左肩に違和感を訴えた。精密検査を重ねた結果、診断は左肩棘上筋の肉離れ。首脳陣は回復具合を慎重に見極めながら、最後まで選手登録の可能性を探り続けた。

 しかし、大阪大会開幕5日前の6月30日、苦渋の末に登録抹消を決断。高野連へメンバー変更を申請した。甲子園出場を果たせば、あらためて登録メンバーを編成できる。大会終盤や甲子園での復帰も視野に入れながら、大阪大会は川本抜きで戦うことになった。

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