【高校野球】「家庭教師の日は練習を早く終わってた」 岡田彰布だけが受けた"特別待遇"とは...創部100年・北陽の知られざる秘話 (4ページ目)
ところが、出場校発表を目前に控えた1月19日、事態は急変する。応援部でしごきがあったことを理由に、学校が選抜出場校としての推薦を辞退したのだ。岡田にとって2度目となるはずだった甲子園は突然消えた。
「あの頃は何でも連帯責任やからな。サッカー部が1月に全国優勝して、応援団も少し休んで『次は選抜の応援練習や』いうことになったんよ。ところが、練習初日に部室へ置いてあった団旗にシワが入っとったという理由で、1年生がしごきにあったんや。
その頃、いつも梶浦と朝から大阪城の周りを走って、7時頃にうちで朝飯食うて、一緒に学校へ行っとったんやけど、その朝、親父がテレビをつけたら、いきなり<北陽暴力事件>って流れてきてな。『うそやろ!』って思ったわ。それで背番号をもらっとった選手が何人か辞めてしもうたんや。『夏があるから頑張ろう』なんて雰囲気やなかったな」
連覇を目指した2年夏は、エースの岡田が肩を痛めて本来の力を発揮できず、2回戦で城東工業に敗れる波乱の結末となった。
【最後の夏は決勝で涙】
新チームでは主将に就任したが、2年秋の大阪大会は準決勝敗退。そして、いよいよ甲子園をかけた最後のチャンスとなる3年夏を迎える。北陽は順調に勝ち上がり、浪商、近大附などを破って2年ぶりの決勝へ進出。相手は興国だった。
チームは9日間で7試合を戦い、5回戦以降は4連戦。全試合に先発出場していた岡田は、4連投で決勝のマウンドに上がった。しかし、7回に喫した2失点が最後まで重くのしかかり、0対2で敗戦。最後の夏は、甲子園まであと一歩届かなかった。
「練習試合もやってたし、負けるとは思うてなかったんや。9回にチャンスも来たんやけどなあ......」
そう言うと岡田は、試合終盤の場面を鮮明に語り始めた。
「2点差で迎えた9回、ワンアウトから俺がツーベースを打ってな。そこからワンアウト満塁までいったんや。でも、あと1本が出んかった。空振り三振とショートゴロやったわ。あのふたりは後輩やったんよ。2年春の選抜辞退の時に、同級生がようけ辞めてしもうたからな......」
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