【高校野球】「家庭教師の日は練習を早く終わってた」 岡田彰布だけが受けた"特別待遇"とは...創部100年・北陽の知られざる秘話 (3ページ目)
岡田らしい、もっともなボヤキである。だが選抜が終わり、いざグラウンドに立てば、その実力は群を抜いていた。
一方で、話題の新入生である岡田は、グラウンドの外でも注目を集めていた。北陽への進学が決まる際、岡田サイドから学校側へひとつの要望が出されたという。それは「週に2回は家庭教師について勉強したいので、その日は練習を早めに切り上げさせてほしい」というものだった。
上下関係が今とは比べものにならないほど厳しかった時代である。そんな特別待遇が本当に認められたのか。上級生からきつく当たられることはなかったのか。そんな疑問をぶつけると、岡田は意外なほどあっさりと答えた。
「5時半くらいには練習を切り上げとったんちゃうかな。家庭教師が7時からやったからな。それが北陽へ行く条件みたいなもんやったからな」
【1年からレギュラーとして甲子園出場】
当時を振り返る岡田の語り口からは、"しごき"とは無縁の高校生活を送っていたことが伝わってきた。それも岡田の実力が群を抜いていた証だろう。事実、夏には7番・レフトとして初戦から全試合に先発出場。決勝のPL学園戦では、2回に先制となる貴重な2ランを左中間へ運び、3対2の勝利に大きく貢献した。
「レフトやなくて、けっこう左中間やな。スライダーやったわ」
この1973年は、使用するバットが木製から金属製へ切り替わる前年、つまり「木製バット時代最後の夏」だった。大阪大会で記録された本塁打はわずか8本。そのうちの1本を、1年生だった岡田が決勝の舞台で放ったのだ。
それだけでも非凡さは十分に伝わるが、7試合すべてに出場して残した成績は23打数9安打、10打点、1本塁打、打率3割9分1厘。1年生とは思えない、堂々たる数字だった。そして甲子園でも3試合を戦い、9打数3安打とチームのベスト8進出に貢献した。
1年秋には3番・遊撃手兼投手としてチームの中心を担い、大阪大会で準優勝。つづく近畿大会でも東山(京都)、天理(奈良)を相手に2試合連続で完投勝利を挙げ、準決勝で敗れたもののベスト4入り。翌春の選抜出場は確実視されていた。
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