【高校野球】「家庭教師の日は練習を早く終わってた」 岡田彰布だけが受けた"特別待遇"とは...創部100年・北陽の知られざる秘話 (2ページ目)
「それにしても、放送で言うてしまうんやからなあ......(笑)。ただ、俺らが3年の時は明星のサッカー部が全国優勝してるし、野球も大阪では明星と近大附が優勝候補と言われるくらい力があった。でも、甲子園に出たのは俺が中3の時が最後になってもうたんよ」
父と共に進路を見つめ直した岡田が新たに選んだのは、明星と同じく私学7強の一角を担っていた北陽だった。もっとも、今で言えば「スーパー中学生」が卒業間際になって進路を変更したのだから、当時の高校野球関係者に与えた衝撃は小さくなかった。一部では、北陽が岡田を"引き抜いた"のではないかとの疑惑まで向けられた。
「そうなんよ。2月やったかな、親父が東京の私学会館まで説明に行って、俺も普通に受験して入ったんや。まあ、それだけ俺も有名やったいうことやな(笑)」
【週2回は家庭教師のため早退】
それにしても、なぜ北陽を選んだのか。
「明星中の同級生に俺と二遊間を組んでた梶浦(繁樹)いうやつがおってな。あいつの兄貴が北陽で野球をやってて、『おまえらも来たらええ』って。それで梶浦と一緒に北陽へ行くことになったんよ。あいつがおらんかったら、たぶん北陽には行ってなかったやろうな」
晴れて北陽への進学が決まった1973年3月。阪神の大エース・村山実の引退試合で、試合前のキャッチボールの相手を岡田が務めたことは有名な話だが、その6日後、岡田は再び甲子園へと向かった。
「村山さんの引退試合の3月21日は忘れもせんけど、そのすぐあとに選抜に出場していた北陽の試合があって、アルプスで見とったんよ」
開会式直後に行なわれた作新学院との一戦では、当時「怪物」と騒がれていた江川卓が北陽打線からじつに19三振を奪い、完封勝利を挙げた。結果はともかく、岡田にとってはのちにライバルとなる江川との、何とも興味深い出会いだった。だが、岡田の記憶に最も残っていたのは、その試合とは別の出来事だった。
「応援団に、めちゃくちゃ怒られたんよ。『校歌を歌ってへんやないか』って。でもな、まだ生徒手帳ももろうてへんのに、校歌なんか知るわけないやん。なあ?」
2 / 5


