【高校野球】甲子園を沸かせた「ミラクル市川」の魂は消えない 3校統合で誕生した青洲高校が築く新たな伝統 (2ページ目)
さらに、野球部の舵取りは困難を極めた。3校それぞれが異なる環境で、異なる野球をやってきた部員たちを同じ方向に向かせることは、周囲が思うほど簡単ではない。
「もちろん、やってきた野球の違いもあったので、チームをひとつにする難しさというのは想像以上にありました」
今年春の県大会でベスト8に進出した青洲高校 photo by Katsuharu Uchidaこの記事に関連する写真を見る
【直面する「あと一歩」の現実】
2021年夏までは連合チームとして大会に臨み。同年秋の山梨大会からようやく単独校として出場。すると、いきなり準々決勝まで進出してみせた。各校の伝統を重んじながら、選手たちと丁寧に対話を重ねていき、一歩一歩ではあるが新たな伝統を築き上げていった。
「創設当時の選手たちは本当に一生懸命やってくれました。その時の先輩たちの踏ん張りがあったからこそ、今があるのだと思います。本当に感謝していますね」
佐野監督自身も市川OBであり、現役時代は捕手として活躍。1998年秋の関東大会決勝で、松坂大輔の代から続いていた横浜(神奈川)の公式戦連勝を53で止めて優勝。翌1999年選抜で8強入りした経験を持つ。その後、母校最後の指揮官としてバトンを引き継ぎ、そのまま新設された青洲の初代監督に就任した。
指揮を執って7年目。部員は3学年で43名(3年生14名、2年生15名、1年生14名)まで増え、以前のように実戦形式の練習不足で苦労することはない。チームは着実に形づくられてきたが、強豪私学の牙城を公立校が崩すことは容易ではない。実際に青洲は春夏秋の県大会において、これまで6度の8強入りを果たすも、その壁を一度も越えられていない。佐野監督のなかにも、戦える手応えと、あと一歩の壁を超えられないもどかしさが交錯していた。
今春の県大会も準々決勝まで進んだが、日本航空に0対10の5回コールド負け。試合後、指揮官の口から出たのは、厳しい現実を見つめ直す言葉だった。
「力の差をまざまざと見せつけられた試合ですね。何もできていないです」
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