【高校野球】昨夏の甲子園で屈辱の初回5失点KO 「子どもだった」高川学園・木下瑛二が絶対エースへと覚醒
昨年夏はまだ幼さを残していた右腕が、大人の雰囲気を漂わせながら甲子園のマウンドに帰ってくる。高川学園(山口)のエース右腕・木下瑛二は、昨秋の中国大会から独自のルーティンを取り入れた。
マウンドに上がると、深く目を閉じ、大きく深呼吸をする。最上級生としての自覚。かつてひとり相撲で自滅した姿を微塵も感じさせない、凜とした立ち姿に確かな成長の跡がうかがえた。
「深呼吸をして、『自分はできる』と思って毎回マウンドへ立つようにしています。(2年夏の甲子園は)やはり子どもだったというか、幼かったと思います。野手にイライラしてしまったりすることも多く、エースになって周りを見る大切さがわかりました」
昨年夏に続き、2季連続甲子園出場を果たした高川学園・木下瑛二 photo by Katsuharu Uchidaこの記事に関連する写真を見る
【昨夏の甲子園で初回5失点KO】
全国の高校野球ファンにとって、「木下瑛二」という名はまだ馴染みが薄いかもしれない。だが、そのポテンシャルは間違いなく世代屈指だ。香川県高松市出身。小学6年時には阪神タイガースジュニアに選出されたエリートである。中学時代は硬式チームの高松庵治ヤングストーンズで名を馳せ、鳴り物入りで高川学園の門を叩いた。
178センチの体躯から投げ込む直球の最速は146キロを計測。カーブ、スライダー、チェンジアップの精度も高く、1年秋から背番号10ながら主戦格として活躍し、昨夏の山口大会では全5試合に先発。チームの4年ぶり甲子園出場に大きく貢献した。
将来の目標は「高卒でのプロ入り」。その言葉に違わぬ実力を持ちながら、昨夏の甲子園では精神面のもろさを露呈した。
日大三(西東京)との3回戦。木下は初回に5安打を浴び5点を失うなど、わずか2/3回で降板。大観衆の前で、自分の投球が通用しない焦りから制球を乱し、勝負を急いでは痛打を浴びる。野手を信じる余裕はなく、マウンドで孤立していた。
「感じたことのない変な感覚に陥って、心の中で"やばい"と思っていました」
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著者プロフィール
内田勝治 (うちだ・かつはる)
1979年9月10日、福岡県生まれ。東筑高校で96年夏の甲子園出場。立教大学では00年秋の東京六大学野球リーグ打撃ランク3位。スポーツニッポン新聞社でプロ野球担当記者(横浜、西武など)や整理記者を務めたのち独立。株式会社ウィンヒットを設立し、執筆業やスポーツウェブサイト運営、スポーツビジネス全般を行なう





















