【高校野球】昨夏の甲子園で屈辱の初回5失点KO 「子どもだった」高川学園・木下瑛二が絶対エースへと覚醒 (2ページ目)
1学年先輩の背番号1・松本連太郎と支え合って勝ち上がってきた夏。帽子に書いた「2枚看板」の文字を見る余裕すらなかった。
「松本(祐一郎)監督さんからは『まだまだ自覚がない』と言われました。それまで連太郎さんに支えてもらった部分が大きかったので、新チームからは自分がエースの自覚を持ってやっていかないといけないと思いました」
新チーム発足後、背番号1を背負ったが、「エースの自覚」は気負いへと変わる。昨秋の山口大会、準決勝の桜ヶ丘戦でタイブレークの延長10回表に味方が2点を援護してくれながら、3点を失い6対7で逆転サヨナラ負け。3位決定戦の山口鴻城戦では6回4失点と力尽き、まさかの4位に終わった。中国大会が山口開催ということもあり、ギリギリで出場権を得られたことが唯一の救いだった。
「(山口大会では)三振ばかりを狙った子どものような投球をしていました。まだエースらしくない部分がありました」
【42年ぶり選抜出場の立役者に】
中国大会前の10月23日には刺激を受ける出来事があった。高川学園OBの立石正広(創価大)が3球団競合の末、阪神にドラフト1位で入団。「自分もプロ野球選手になりたい」──。ドラフト上位でプロに行くためには何をすべきか。導き出した答えは「周囲への感謝」だった。
「野手に声をかけて、信じて打たせてとるというのが一番だと実感しました。周囲を冷静に見ることができるようになりました」
中国大会1回戦では、広島王者の広陵に対して打たせてとる投球に終始。終わってみれば8対2で完投勝利を飾り、強敵を退けた。準々決勝の鳥取城北戦は5回コールドで無失点完投。そして準決勝、勝てば2季連続甲子園出場に大きく近づく下関国際戦を迎えた。
松本監督も「本当によく我慢した」と唸るほどの変貌。再三走者を出しながらも、投げ急ぐことなく、要所を締める。それまでなら力でねじ伏せようとしていた場面でも、キレのある130キロ台後半の直球と変化球を低めに集めて凡打の山を築いた。
2 / 3

