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【高校野球】センバツに出場する名門・崇徳はなぜ甦ったのか グラウンドも、寮も、意識も変えた再建の日々

  • 内田勝治●文 text by Uchida Katsuharu

33年ぶり選抜出場・崇徳高校復活物語(前編)

 1976年春。紫紺の優勝旗を手に凱旋し、広島の街を熱狂の渦に巻き込んだ「崇徳」の名が、ついに甲子園の舞台に帰ってくる。

 1993年以来、じつに33年ぶりとなる選抜出場。古豪と呼ばれて久しい「眠れる獅子」は、いかにして長き眠りから目覚めたのか。そこには師弟の絆、そして学校とOBが一体となった「ALL(オール)崇徳」の執念があった。

古豪復活を果たした崇徳の藤本誠監督 photo by Uchida Katsuharu古豪復活を果たした崇徳の藤本誠監督 photo by Uchida Katsuharuこの記事に関連する写真を見る

【伝説のOBを監督として招聘】

 チームを指揮する藤本誠監督は「OBの悲願でした」と感慨もひとしおだ。

「私の高校時代は1995年の1年夏、1997年の3年夏の広島大会で決勝敗退。2003年から監督をやらせていただき、2006年夏も決勝で負け、秋の中国大会ではことごとくベスト8で敗れました。昨夏の広島大会で19年ぶりに決勝に進みましたが、広陵さんに逆転負けと、あと一歩の状況がずっと続いてきました」

 2018年。その「あと一歩」を払拭するために、「伝説のOB」を招聘した。1976年の選抜初出場・初優勝メンバーである應武篤良(おうたけ・あつよし)さんが監督に就任。藤本さんは部長としてチームを支えることになった。

 捕手として活躍した應武さんは崇徳から早稲田大へ進み、新日鉄広畑(現・日本製鉄瀬戸内)時代には日本代表の一員として1988年ソウル五輪に出場。現役引退後の1994年から新日鉄君津(現・日本製鉄かずさマジック)を率い、チームを都市対抗の常連チームへと育て上げると、2005年から早大の監督に就任。

 在任中は斎藤佑樹(元日本ハム)らを擁し、2010年までの12シーズンで6度のリーグ制覇と2度の日本一に導くなど、黄金時代を築いたあと、甲子園から遠ざかる母校再建のため、故郷の広島へと戻った。

 藤本監督は、應武さんと過ごした濃密な日々を振り返る。

「早稲田大で監督をされていた頃からいろいろとご教授いただいていたのですが、『何で勝てないのか』『おまえがやっていることは"マネージャー"であって、監督の仕事ではない』とボロクソに怒られましたね。本当に勝つことに関しては徹底されていた方でした。実際に一緒にやらせていただくことになり、いろいろと勉強させてもらいました」

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著者プロフィール

  • 内田勝治

    内田勝治 (うちだ・かつはる)

    1979年9月10日、福岡県生まれ。東筑高校で96年夏の甲子園出場。立教大学では00年秋の東京六大学野球リーグ打撃ランク3位。スポーツニッポン新聞社でプロ野球担当記者(横浜、西武など)や整理記者を務めたのち独立。株式会社ウィンヒットを設立し、執筆業やスポーツウェブサイト運営、スポーツビジネス全般を行なう

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