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【高校野球】センバツに出場する名門・崇徳はなぜ甦ったのか グラウンドも、寮も、意識も変えた再建の日々 (3ページ目)

  • 内田勝治●文 text by Uchida Katsuharu

33年ぶり選抜出場を決めた崇徳ナイン photo by Uchida Katsuharu33年ぶり選抜出場を決めた崇徳ナイン photo by Uchida Katsuharuこの記事に関連する写真を見る「最後まで監督を辞めるとは言わなかったですね。復帰するというのが自分のモチベーションで、病と闘っていたのではないでしょうか」

 そして同年9月。應武さんは64歳の若さでこの世を去った。生前に掲げた「ALL崇徳」の言葉は、チームスローガンとしてナインに根付いている。

【専用球場完成と寮生活始動】

 應武さんの功績は指導だけにとどまらない。監督就任後から練習環境に大きな変化があった。かつては学校の校庭を他部と共有。夜21時には完全撤収という制約があったが、学校側の協力もあり、2021年に専用球場が完成。2024年から寮が始動し、好きなだけ練習に打ち込めるようになった。

 さらには元広島の岩見優輝さんを投手コーチに招聘。最速140キロのエース・徳丸凜空(りく/2年)は、プロも注目する左腕へと成長を遂げた。今春の選抜出場は「ALL崇徳」の結集力にほかならない。

「自宅では好きなものしか食べないし、わがままなところがどうしても出るので、これまでは思うように体ができませんでした。寮で生活をすることで体つきも変わってきましたし、ウエイトトレーニングも寮の中でできるようにしていただいたので、故障が減ってきたというのも本当に大きいですね」

 かつて應武さんら先輩が躍動した甲子園の土を踏む瞬間は刻一刻と迫っている。大恩人は、天国から何と言葉をかけてくれるだろうか。

「褒めてはくれないでしょうね(笑)。でも、私にとっては大事な恩師のひとりであることに変わりはありません。應武さんはよく『甲子園に行ったら人生が変わる』とおっしゃっていました。私自身も初めての甲子園なので、生徒たちと一緒のいい経験、いい勉強をさせてもらえたらという気持ちでいるのですが、OBにとっては33年ぶりの悲願でもあります。そういう方々の思いと一緒に『ALL崇徳』で戦っていきたいと思っています」

 名将が遺した教えは、たしかに引き継がれた。中国覇者として、應武さんの思いも背負い、聖地へと乗り込む。

つづく>>

著者プロフィール

  • 内田勝治

    内田勝治 (うちだ・かつはる)

    1979年9月10日、福岡県生まれ。東筑高校で96年夏の甲子園出場。立教大学では00年秋の東京六大学野球リーグ打撃ランク3位。スポーツニッポン新聞社でプロ野球担当記者(横浜、西武など)や整理記者を務めたのち独立。株式会社ウィンヒットを設立し、執筆業やスポーツウェブサイト運営、スポーツビジネス全般を行なう

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