兄は慶應、弟は早稲田で甲子園、神宮でプレー 「同じ道を歩まなかった」鈴木兄弟が野球への恩返しを語り合うまで (3ページ目)
3年夏の甲子園の倉敷商戦で完封勝利を飾った鈴木健介氏 写真は本人提供この記事に関連する写真を見る
【兄とは違う道で自分を証明する】
兄とは違う道を選んだからこそ、今の自分がある。大手広告代理店に勤務する弟の鈴木健介さんは、中学時代に全国的に知られた投手だった。兄と同じ慶應ではなく、早稲田実業(西東京)への進学を選んだ。
「兄と同じ道ではなく、自分自身として挑戦したかった。『裕司の弟』ではなく、『鈴木健介』で勝負したかったんです」
U15日本代表として世界大会を経験し、中学では主将も務めた。部活動とクラブチームの両立は、父の助言もあっての選択だった。
「ずっとシニアの活動だけに専念していると、中学でコミュニティから外れる場合があります。学校生活をどうよくするのかということを考えると、やはり部活動に入っていたほうがよかったという話を社会人になってから父としました。実際に振り返ってみると、友だちに囲まれた中学生活だったなと思います」
早実では入学してすぐの春季大会からベンチ入りを果たし、1年夏の西東京大会では全6試合中5試合に登板して準優勝。2年春の選抜では全3試合でリリーフ登板し8強進出。同年秋の新チームではエースナンバーを背負うなど、順調に成長曲線を描いてきた。しかし、都大会準々決勝の日大三戦で5対14と大敗したことが、「大きなターニングポイントでした」と振り返る。
「2回途中8失点で降板して、自分のせいで甲子園に行けなくなり、チームのみんなに迷惑をかけてしまったという経験が本当に大きかったです。『早実のエースとしての自覚があるのか』とか、いろいろなことを言われて、そこから目の色を変えて練習をした記憶があります」
ひと冬越えてナインからの信頼を勝ち取ると、迎えた3年夏の西東京大会決勝。2年前の決勝で敗れた日大鶴ヶ丘とのリベンジマッチで完封勝利を飾り、斎藤佑樹(元日本ハム)らを擁して全国制覇を果たした2006年以来、4年ぶりとなる夏甲子園出場を果たす。そして1回戦の倉敷商(岡山)戦では毎回の11奪三振で再び完封勝利。チームの3回戦進出に大きく貢献した。
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