兄は慶應、弟は早稲田で甲子園、神宮でプレー 「同じ道を歩まなかった」鈴木兄弟が野球への恩返しを語り合うまで (2ページ目)
2008年、慶應高は春夏甲子園出場を果たす。北神奈川大会決勝の東海大相模戦では、9回に鈴木さんの同点犠飛などで追いつき、延長13回の末に勝利。46年ぶりの夏の甲子園を決めた。
「慶應はほかの強豪校に比べたら技術レベルは高くなかったですけど、ああいうアプローチの仕方が野球でもあるんだというのを知れたのは本当に大きかったです」
甲子園では8強入り。神奈川の強豪校を倒すために積み重ねてきた思考と工夫が、全国でも通用する力となった。
【書き続けることで磨かれた思考】
慶應大に進んでも、「考える」ことを止めなかった。練習中は、手の平サイズのメモ帳をユニホームのポケットにしのばせ、ミーティングの内容や、技術面で気づいた点などをその場で書き記す。寮に戻ってから、野球ノートを書く際の参考にしていた。
「メモ帳にはその日起こったことや気づいたこと、野球ノートには"今日の学びと明日の目標"を書いて、翌朝それをもう一度見直してから練習や試合に臨んでいました。メンバーやスタメンに選ばれるためには何をしないといけないのかを逆算しながら、こういう工夫をしようといったことを書いていました」
2年秋からベンチ入りし、3年春のリーグ優勝に貢献。現在も仕事の中で、気づいたことはノートに書き留めている。
「書き続けることで、自分の思考のクセがわかるようになりました」
慶應で学業と野球を両立させることは想像以上に大変だった。ただ、それをやり遂げたからこそ、今の自分があるということを自覚している。
「中3の受験の時から準備、努力をして、しっかりと考えるということが、慶應に入ってから、磨かれた気がします」
自らを育んでくれた野球に感謝をしながら、日々の仕事に打ち込んでいる。
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