兄は慶應、弟は早稲田で甲子園、神宮でプレー 「同じ道を歩まなかった」鈴木兄弟が野球への恩返しを語り合うまで (4ページ目)
「甲子園では自分の持っている以上の力が出たというか、人生のベストピッチングがそこで出たと思います。家族や学校の仲間、OBの方々など多くの関係者が心から喜んでくれたことで、『誰かのためになりたい』という思いが自然と芽生えました。この経験は自分の人間形成においても大きな転機になったと思います」
【早大で味わった人生最大の挫折】
甲子園で通算6試合に登板した実績を引っ提げ、内部進学した早大に鳴り物入りで入学した。しかし、部内のあまりのレベルの高さに、その自信は早々に打ち砕かれることになる。
「同級生に有原航平(前ソフトバンク)や高梨雄平(巨人)がいて、同じ土俵でやっていくのは厳しいなというのを感じました。高校では甲子園にも出たので、大学でも多少はやれると思っていましたが、2年生までは一度もベンチに入れませんでしたし、部員も多くてなかなか練習できないという環境も含め、自分の人生の中で一番大きな挫折でした」
それでも腐ることなく、3年春の東京六大学リーグ戦で初登板を飾ると、4年秋の早慶第3戦の9回二死から登板して試合を締めた。通算3試合で0勝0敗、防御率7.36。成績こそ残せなかったが、ワセダで過ごした7年間は、鈴木さんにさまざまなことを教えてくれた。
「就職活動のエントリーシートにも『栄光と挫折』と書いたぐらい、いい時とよくない時がはっきりしていました。高校時代は甲子園で6試合投げて完封もしましたが、大学でその自信はガラリと崩れ落ちて、大きな挫折も経験しました。でもその両方を経験できたことで、人としての深みが出たと思っています」
大学限りで競技生活に別れを告げ、新卒で大手広告代理店に入社。目の前の仕事に真摯に向き合い、成果に繋げていくうちに気がつけば30歳を超え、中堅社員の立ち位置となった。
3年前のある日、大手酒類メーカーに勤務する兄の裕司さんと酒の席で、自分たちの未来を語り合った。
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