大阪桐蔭「藤浪世代」のベンチ外が胸に刻んだ逆転の誓い 「いつか絶対にこのメンバーを逆転する」 (2ページ目)
歴代の多くの1年生がそうであったように、抱いていた淡い自信は初日の練習で打ち砕かれた。
「もちろん先輩たちもすごかったですけど、一番衝撃だったのは(同級生の)水本(弦)と安井(洸貴)のティー打撃でした。僕とは音がまったく違っていて。チームにある1キロくらいの練習用の木製バットを使っているのに、ふたりのティーは『バッチーン!』って強烈な音がするんです。こういうヤツらと競っていくんやと思ったら、『とんでもないところに来たな』と思いました」
それでも、「オレもやれば......」と可能性を信じて練習を積んだが、時間が経つにつれ、現実が見えてきた。ここから逃げ出したいという気持ちと、あきらめきれない思いが交錯する日々が続いた。
「自分がレギュラーとしてバリバリやる姿を思い描いて入ってきたけど、現実は違った。もっと上に行きたいのに行けない。いくら練習しても力が足りない。正直、ずっと辞めたい気持ちがありました」
【堅実な守備職人へ生き残りを懸けた選択】
中学時代は打撃が売りだったが、次第に堅実な守備を武器とするようになっていった。
「大阪桐蔭はやっぱり打たないと......。でも、自分が勝負できるのは、そこ(守備)しかなかったんです。実戦的な打球を求めて、打撃練習の時間でも積極的に守備に就きました。肩はそれほど強くはなかったですけど、打球予測やポジショニング、一歩目の出足、カバーには強くこだわっていました。セカンド、サード、ショートを守りましたが、ショートのレギュラーだった妻鹿(聖)と比べると、肩は向こうのほうが強かったけど、ゴロ処理はある程度勝負できる部分はあったと思います」
2年秋、新チームとなって迎えた練習試合。メンバーを記入する用紙に、いったん「6・大野」と書かれたあと、×で消され、「6・妻鹿」と書き直されていたことがあったという。その用紙を見た小池裕也から話を聞き、大野の胸は大きく揺れた。
一度は、監督である西谷浩一が自分の名前を書いた──そこまでの位置には来ている。指揮官の思いを想像しては、一喜一憂する日々が続いた。しかし、最後にメンバーから漏れた。
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