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藤浪世代の大阪桐蔭に入部した「10年にひとりの逸材」はなぜ甲子園のマウンドに立てなかったのか? (3ページ目)

  • 谷上史朗●文 text by Tanigami Shiro

「もちろん、甲子園で一度は投げたかったっていう気持ちはあります。どの試合だったか、西谷先生のところへ行って、『ブルペンで準備したほうがいいですか?』って、普段なら聞かないようなことを聞いてアピールしたこともあったんですけど、ふたりがよすぎましたね」

 ひとつ思ったのは、平尾はチームの偉業を心の底から喜べたのだろうかということだった。すると平尾は、少し強い口調で返してきた。

「登板はなくても、自分が戦いに参加していないとは思っていませんでした。あの夏のいつだったか、144キロが出たことがあって、スピードという点では、病気前の自己最速138キロを超えたんです。状態も上がっていたのに、出番はなくてチームは勝った。ということは、単純に自分の力不足だったということです。

 自分なりにやれることはすべてやったという思いはありますし、出番はなかったですが、ベンチに座っていただけという気持ちではなかった。いつ声がかかってもいいように、毎試合しっかり準備はしていました。だから勝った時は、心からみんなと喜び合えたんだと思います」

 春夏連覇の歓喜が少し落ち着いた10月、岐阜で国体が行なわれたが、平尾は向かわずに医師との約束どおり野球から離れた生活をスタート。来るべき勝負の時に備えた。

文中敬称略

つづく>>

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著者プロフィール

  • 谷上史朗

    谷上史朗 (たにがみ・しろう)

    1969年生まれ、大阪府出身。高校時代を長崎で過ごした元球児。イベント会社勤務を経て30歳でライターに。『野球太郎』『ホームラン』(以上、廣済堂出版)などに寄稿。著書に『マー君と7つの白球物語』(ぱる出版)、『一徹 智辯和歌山 高嶋仁甲子園最多勝監督の葛藤と決断』(インプレス)。共著に『異能の球人』(日刊スポーツ出版社)ほか多数。

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