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【高校野球】北海道出身の元U−15日本代表・林将輝は、なぜ甲子園出場1回の大阪学院大高へ進学したのか (3ページ目)

  • 菊地高弘●文 text by Kikuchi Takahiro

 北国出身者特有の、のんびりとしたムードはない。大阪へ来て、関西人のガツガツとしたノリに戸惑ったことはないのか。そう尋ねても、林は「ないです」と即答した。

「たまに関西弁がわからなくて『何言ってんの?』となるけど、全然大丈夫です。面白い人が多いので、新鮮で楽しいですね」

【周囲の雑音はまったく気にならない】

 なぜ、進学先は大阪学院大高だったのか。そう尋ねると、林はトーンを変えずにこう答えた。

「甲子園に行くことより、『自分は将来プロになる』という思いが強かったんです。中3の夏に大阪学院の練習を見に来て、最初は『とにかく環境がすばらしいな』と。あとは自主練習の時間が長くて、自分のやりたいことができると思いました」

 有望選手の進路決定までのプロセスでは、「〇〇監督に教えてもらいたいから」「仲のいい知り合いがいたから」など、人物が決め手になったケースをよく聞く。

 だが、林からは「このチームに入れば、自分をうまくしてくれる」といった他人任せの思考はまったく感じられなかった。「自分がうまくなるために、このチームに入る」。そのシンプルな思いから、大阪学院大高を選んだだけなのだ。辻盛監督は「精神的に自立していますよね」と林を評する。

 一方、周囲からは「甲子園常連校に行ったほうがいいのに......」などと、否定的な声も聞こえてきたという。それでも、林は気丈にこう語った。

「周りが何と言おうと関係ないんで。自分は野球をプレーするだけ。あんまり気にしないタイプだと思います」

 並みの15歳とは、くぐってきた場数が違う。U−15代表では南アメリカ大陸北西部に位置するコロンビアへと飛び、厳しい戦いを経験してきた。

「治安が悪いから、外を出歩かないように言われていました。あとは食べ物が全然合わなくて、体重が3キロ減りました」

 それでも......、と林は続けた。

「野球をすることは日本でも、コロンビアでも同じなので。別に大きく変わったことはなかったです。マウンドとか環境も大丈夫でした。観客の声に少し戸惑ったくらいで。バックネット裏で観客が踊ったりしていて、日本とは雰囲気が全然違ったので。マウンドでは『とりあえず冷静に投げよう』と思っていました」

 そのような経験をしているからこそ、北海道が大阪に変わったくらいでは動じないのだろう。

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