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高校野球史に残る「炎上試合」の舞台裏を当時の武相4番・渡部おにぎりが振り返る 先輩・塩見泰隆の「バケモノ」ぶりも明かす (2ページ目)

  • 武松佑季●取材・文 text by Takematsu Yuki
  • 是永日和●撮影 photo by Korenaga Hiyori

【3番・塩見を4番・渡部が返す攻撃の形】

 高校野球と言えば、過酷な練習。もちろん、武相もその例に漏れない。入部当初の同じ学年の部員数は約50人。全員が渡部と同じくスカウトを受けて入学した実力者だったが、最終的には20人未満になった。練習はそれほどの厳しさだった。

「正月明けに2泊3日のトレーニング合宿があって、バットやグローブを持っていかずにひたすらラントレとウェイトをやるんですが、これが本当に地獄でした。高校時代を振り返ると、最初に思い出す練習があの合宿です。

 とくにラントレがキツかった......。合宿に限らず、中学までと走る量が比較にならないんですもん。200メートル×15本を1本28秒以内に走れなかったら連帯責任でやり直し、とか。僕は当時から太っていて走るのが苦手だったので、フライングしたり、ズルしてましたね(笑)」

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 そう言いつつも、実力が抜きんでていた渡部は入部から間もなくベンチ入り、1年秋から4番キャッチャーに選ばれている。1学年上にはのちにヤクルトに入団し、2021年にはセ・リーグベストナインに輝く塩見泰隆がいたにもかかわらず、だ。

「僕は高校通算13本塁打とたいしたことがなく、どちらかというと中距離打者で打点を稼ぐタイプだった。だから塩見さんより僕のほうがいいバッターというわけではなく、戦術的にそういう打順だったというだけですけどね」

 その塩見のポテンシャルはどうだったのか。

「バケモノでした。足も速いし、肩も強い。スイングはめちゃくちゃ速いってわけじゃないのにボールを飛ばす技術が半端じゃなかった。

 僕が2年の夏は準々決勝で桐蔭(学園)に2対3で負けちゃったんですが、こっちの2点とも、3番の塩見さんが塁に出て4番の僕が返すという形だったんです。俺、のちのプロ野球選手を2回もホームに返したんだぜといまでも誇りに思ってます」

 そして、渡部たちの代となった。しかし、人生で一番アツい夏になるはずだったこの年に、彼らは燃え尽きることができなかった。1回戦の日大藤沢戦で起きた、高校野球史に残る"サヨナラインフィールドフライ事件"だ。

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