検索

病と闘う元大阪桐蔭・福森大翔「野球で言うなら、9回2アウト」でも「希少がん患者の声を届けたい」 (4ページ目)

  • 谷上史朗●文 text by Tanigami Shiro

「それはあると思います。子どもの頃から、父親にはずっと言われていましたから。『自分ひとりじゃ生きられへんぞ。周りの人がいて、おまえがおるんやから。独りよがりにならんと、周りの人の力になってあげたら、必ず自分に返ってくる。そういう人間になれよ』って。それが"パイオニア"の答えに関係していたかはわからないですけど、大阪桐蔭時代にその言葉を書いていたと聞いて、ちょっと鳥肌が立ちました」

 私のなかで、すべてがつながった。常に人を気遣い、誰かのために行動しようとする。そんな思いを胸に過ごしていた17歳なりの解釈の先に、「パイオニア」という言葉が思い浮かんだのだろう。

大阪桐蔭では甲子園の2大会で19打数9安打を放った福森大翔さん 写真は本人提供大阪桐蔭では甲子園の2大会で19打数9安打を放った福森大翔さん 写真は本人提供この記事に関連する写真を見る

【「粘って、粘って、後半勝負や!」】

「野球で言うなら、9回2アウトです」

 その言葉を、福森はまるで明日の天気の話でもするかのように、会話のなかで2度、3度、さらりと口にした。ここで打てなければ試合は終わる──そんな覚悟を抱いた打席が、これからも続いていくだろう。

 すっかり昼時を過ぎたところで店を出ると、駅まで見送りに来てくれた福森と、再び野球の話になった。隣で語られる青春時代の思い出に耳を傾けていると、懐かしいグラウンドの風景が目に浮かび、福森のもうひとりの師の気合いのこもった声が重なって聞こえてくるようだった。

「粘って、粘って、後半勝負や!」

 これまで数々の土壇場でドラマを生み出してきた大阪桐蔭野球部に受け継がれる精神は、語りの名手としても知られる監督・西谷浩一の筆頭語録である。野球も人生も、最後まで何が起きるかわからない。だからこそ──。

 甲子園の2大会で19打数9安打。大舞台で結果を残してきた男は、今日も逆転の一打を信じて打席に立ち続けている。

 福森がこれまで周囲に向けてきた数々の思いや行動が、この窮地を救う力となって、今こそ彼のもとに返ってきてほしい。

元高校球児が「希少がん」と闘う!誰もが行動すれば応援される社会をつくりたい!

クラウドファンディングサイトはこちら>>

  福森 大翔

【プロフィール】
1995年7月29日、大阪市旭区生まれ。小学3年生で野球と出会い、中学時代は大阪都島ボーイズ、高校時代は大阪桐蔭高校野球部に所属し文武両道に励む。立命館大学産業社会学部卒業後、大手ハウスメーカーに入社。2021年にがんの宣告を受けるも、2024年に入籍。現在に至る

著者プロフィール

  • 谷上史朗

    谷上史朗 (たにがみ・しろう)

    1969年生まれ、大阪府出身。高校時代を長崎で過ごした元球児。イベント会社勤務を経て30歳でライターに。『野球太郎』『ホームラン』(以上、廣済堂出版)などに寄稿。著書に『マー君と7つの白球物語』(ぱる出版)、『一徹 智辯和歌山 高嶋仁甲子園最多勝監督の葛藤と決断』(インプレス)。共著に『異能の球人』(日刊スポーツ出版社)ほか多数。

フォトギャラリーを見る

4 / 4

キーワード

このページのトップに戻る