【選抜高校野球】離島旋風再び! 壱岐高校が受け継いだ大島高校からのバトン
壱岐から甲子園へ──。その宿願は、2025年3月20日にかなえられた。
優勝候補を相手に2点を先制し、試合中盤まで接戦を演じた。最終的に2対7で東洋大姫路(兵庫)に敗れたとはいえ、試合後の壱岐(長崎)ナインにはスタンドから惜しみない拍手が送られた。
打っては先制の2点適時打を放ち、守っては遊撃で好守備を見せた山口廉斗は言う。
「最初から壱岐の人が応援してくれて、手拍子がすごかったです。もう一回、甲子園に来たいと思いました」
21世紀枠で初めて甲子園出場を果たした壱岐高校 photo by Ohtomo Yoshiyukiこの記事に関連する写真を見る
【中3の夏に鹿児島大会決勝を見た】
人口約2万4000人の離島・壱岐島にある壱岐は、21世紀枠で春のセンバツに初出場した。といっても、昨秋は長崎大会で準優勝し、九州大会でもベスト8に食い込んだ実力がある。島内では「100年に一度の奇跡」と言われたそうだ。
中学時代に全国中学校軟式野球大会でベスト16に進出した勝本中の選手など、力のある選手たちが「壱岐から甲子園を目指そう」と誘い合い、壱岐に進学した。その中心人物でもあった山口は、島に残った理由としてある試合の存在を明かした。
「中学3年の夏に、大島高校と鹿児島実業の鹿児島大会決勝を見たんです。大島は試合終盤にチャンスをつくって、1本出して、あと少しのところで負けてしまったんですけど。でも、島の高校でもここまでやれるんだと思いました。自分たちも中学の時にいい成績を残せていたので、みんなで島に残れば甲子園に行けると声をかけ合ったんです」
今から3年前、鹿児島・奄美大島の大島が離島旋風を巻き起こしたのは記憶に新しい。筆者は当時、大島の躍進を間近で取材していた。
ことの始まりは、島の有力投手だった大野稼頭央(現・ソフトバンク)と大型捕手の西田心太朗(現・環太平洋大)のふたりだった。彼らは県内屈指の名門である鹿児島実からの熱心な誘いを断り、「大島に残ってバッテリーを組もう」と約束を交わす。すると、ほかにも有望な選手が島に留まり、大島に集まった。
塗木哲哉監督(現・鹿児島商)のきめ細かい指導と化学反応を起こしたチームは、2021年の秋季九州大会で準優勝と大躍進。翌春のセンバツに一般選考枠で選ばれた。
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著者プロフィール
菊地高弘 (きくち・たかひろ)
1982年生まれ。野球専門誌『野球小僧』『野球太郎』の編集者を経て、2015年に独立。プレーヤーの目線に立った切り口に定評があり、「菊地選手」名義で上梓した『野球部あるある』(集英社/全3巻)はシリーズ累計13万部のヒット作になった。その他の著書に『オレたちは「ガイジン部隊」なんかじゃない! 野球留学生ものがたり』(インプレス)『巨人ファンはどこへ行ったのか?』(イースト・プレス)『下剋上球児 三重県立白山高校、甲子園までのミラクル』(カンゼン)など多数。