【選抜高校野球】離島旋風再び! 壱岐高校が受け継いだ大島高校からのバトン (2ページ目)
センバツでは外野守備が乱れ、明秀学園日立(茨城)に0対8と完敗。一時はチーム崩壊寸前の危機まで陥ったが、最後の夏に選手たちは再び結束を深める。夏の鹿児島大会は過去最高の決勝戦に進出。鹿児島実と大熱戦を繰り広げた。9回に1点差まで迫る2点適時打を放ったのは、甲子園で守備のミスを犯した青木蓮だった。
2対3で敗れた試合後、涙を流す選手たちに塗木監督はこう語りかけた。
「ナイスゲーム! 泣く必要なんかない。みんながやってきたことはすばらしいことだ。『甲子園なんて無理だ』『島から決勝なんて無理だ』『島の子が粘り強い野球なんてできない』と人から勝手に決めつけられても、みんなは『やればできる』と可能性を信じてきたよな。野球を通していろんな人に教えたし、俺も教わった。最後は勝てなかったけど、これも野球だよ。
俺はみんなに言いたい。春に初めて甲子園に行かせてもらって、俺だけじゃなく俺の今までの教え子の思いまで連れていってくれてうれしかったし、ありがたかった。今日は勝てなかったけど、次なる世代が達成してくれる日がきっとくる。その時にみんなはスタンドや職場やテレビで、応援してくれたらいい」
塗木監督の言った「次なる世代」。それは当然ながら奄美大島の次世代を指していたのだろう。だが、そのバトンは壱岐の選手たちにも届いたと言っていいのではないか。そして、今春の壱岐の健闘を見た全国の離島の選手たちが、「次なる世代」として甲子園に戻ってくるかもしれない。
【「離島甲子園」経験メンバーもいる】
毎年夏に、全国の離島の中学生チームが一堂に会してトーナメントを戦う「離島甲子園」というイベントがある。大野、西田ら大島の選手たちは離島甲子園で島の選手たちと野球をする喜びに目覚め、島内に残る大きな要因になった。
壱岐の甲子園メンバーのなかにも、離島甲子園を経験したメンバーがいる。郷ノ浦中出身で、甲子園では二塁手を務めた安原奨弥だ。
「勝本中の選手は全国大会と被って出られなかったので、島内の3つの中学の選手と離島甲子園に出ました。初戦で負けてしまったんですけど、ホテルでずっと遊んですごく楽しかった思い出があります」
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