1984年夏の甲子園〜決勝はPL学園が土壇場で同点... 取手二・木内幸男監督がサヨナラのピンチを防いだ策とは (2ページ目)

  • 楊順行●文 text by Yo Nobuyuki

「そこまでの打席は丁寧にスライダーで攻めていたんですが、早くストライクが、アウトがほしい一心でストレート。そういえば木内さんは試合中、『いままで野球をやってんのはオレらだけだかんな。せっかくの楽しい時間を早く終わらせるのはもったいないべ。早く終わろうとすんな、今日は長く野球をやろう』としつこく言っていた。悔やんでもあとの祭りですが、『勝負を焦るな』ということだったと思います」

 その甘く入ったストレートがレフトへ──土壇場の同点弾に、スタンドがざわつく。さすがPL。やっぱりPL。ずっと取手が先行していたけど、9回に追いつくのが逆転のPLのシナリオだ。

 石田が次打者に死球を与え、スタンドはさらに逆転を予感する。何か手を打たないとまずい......目に見えない"流れ"の変化を感じた中島に呼応するように、ここで木内監督が動いた。

 リリーフに柏葉を送り、石田はライトに回る。初戦に先発してピリッとしなかった柏葉だが、鎮西(熊本)との準決勝で再び先発に起用されると、3回途中まで1失点と、役割は十分に果たしていた。時折、左下手から投げるスライダーは高校生にはちょっと厄介だ。

 同点に追いつかれた9回裏、無死一塁。その柏葉がマウンドへ。PLベンチは当然、サヨナラの走者を得点圏に送るためにバントを企ててくるだろう。中島はそう読んだ。

「ここで我々にとって幸運だったのは、雨天の試合でホームベース付近に砂をたくさん入れていたことです。バントした打球が、ひょっとしたら止まるかも......」

 案の定、左打席の鈴木英之が仕掛けたバントが、中島の目の前に止まる。これを落ち着いて二塁に送球し、一塁走者を封殺。ワンアウトだ。

 ここで木内監督は、ライトの石田をマウンドに戻す。柏葉はワンポイント・リリーフだったわけだ。しかし打席には──清原。ここでも、中島が要求した「シュートという名のストレート」が冴えた。清原、空振り三振。石田は、つづく桑田も三塁ゴロに打ち取ってなんとか同点で食い止め、試合は延長にもつれた。そして10回表、中島の3ランが飛び出すわけである。

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