1984年夏の甲子園〜決勝はPL学園が土壇場で同点... 取手二・木内幸男監督がサヨナラのピンチを防いだ策とは (3ページ目)
宿舎で祝勝会する取手二の木内幸男監督(右から2人目)と選手たち photo by Okazawa Katsuroこの記事に関連する写真を見る
【桑田真澄が衝撃の告白】
それにしても......と中島は思い出す。
「木内さんみたいな人はいないな、と思います。たとえば箕島に勝ったあと、大はしゃぎしたのを大会役員にとがめられました。木内さんはその場では殊勝にしていましたが、宿舎に戻ってからは一切怒りません。当時は、プレー中に笑顔を見せるなんて不謹慎と眉をひそめられた時代ですが、『(8回に逆転する)あんな試合をやって、うれしくないわけがない。騒ぐのが当たり前だ』と。ただ『次の試合からは、ちょっと気をつけろ』とは言われましたけど。いま仁志敏久(常総学院OBで木内の教え子、元DeNAほか)さんに、時々、チームのコーチをお願いするんですが、木内さんの思い出話で盛り上がるんですよ」
後日談。日本高校選抜チームのメンバーとして韓国に遠征した時、中島は桑田にこう話しかけたという。
「真っすぐの握り、見えるぜ」
それに桑田は「いや僕、真っすぐもカーブも同じ握りなんですよ」と答えたという。つまり、真っすぐと見抜いたつもりの中島のホームランは、結果オーライだったわけか。付け加えれば桑田は、都城(宮崎)との3回戦でできた血マメの痛みが激しく、決勝の延長10回にはストレートしか投げられなかったという。
ついでながらその84年、取手二とPL学園は国体の決勝でまたも対戦し、取手二が再び5対4で勝利。桑田はこの試合救援で登板したから、「高校時代に桑田から2勝しているのは、我々だけかもしれませんね」と中島はニヤリと笑う。
ともあれ、だ。84年夏は決勝で敗れたPLは、翌85年の夏を制覇し、3年になったKKコンビが有終の美を飾っている。KKコンビの3年間の夏は優勝、準優勝、そして優勝。つまり、「真っすぐだ!」と信じ込んだ中島の劇的な一打がなければ、PL学園は夏3連覇という大偉業を達成していたのかもしれない。
(文中敬称略)
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