「まさに鉄腕」 智辯学園のエース・村上頌樹は春夏合わせて甲子園7試合、921球をひとりで投げ抜いた (3ページ目)

  • 谷上史朗●文 text by Tanigami Shiro

 ひとりであれだけ投げたのに、「投げ過ぎ論争」は起きなかった。たしかに、今ほど周囲の反応は過敏ではなかったが、一番の理由は669球をひとりで投げても、村上のボールはまったく衰えず、フォームも乱れなかったことだろう。ちなみにこの春、村上の最速は142キロだったが、それを記録したのは決勝戦だった。

 そして連覇をかけて挑んだ夏、県大会前から小坂監督に「夏も全部行くぞ」と言われていたという村上は、ここでも「もちろん、そのつもりでした」と、奈良大会は5試合で40回1/3を投げて優勝。ほかの投手が投げたのは、わずか5回2/3だった。

 大きな注目のなかで迎えた甲子園初戦は、出雲(島根)相手に5安打、7奪三振、無四球完投で6対1の勝利。センバツの続きのような隙のない投球内容で好発進したが、次になっていたのが、冒頭で小坂監督が口にした2戦目、鳴門との一戦だった。

 試合は智辯学園が2点を先制し中盤に進むも、6回に追いつかれ、同点のまま迎えた9回表の鳴門の攻撃。最終回に入っても村上のストレートは常時140キロ台を記録するなど、疲れを感じているようには見えなかった。しかし、コースいっぱいを狙ったボールがわずかに外れる四球などで二死満塁のピンチを招くと、ここで相手左打者に高めのボールゾーンに投げ込んだストレートを強振され、打球はライト前にポトリと落ちた。さらにライトからの本塁返球が逸れ、走者一掃となりあっという間に3点を失い、勝負の行方は決まった。

「前の打者にフォアボールを出したんですけど、最後の1球が、あとで見れば少し外れていたんですけど、あの時は『えっ、ボール?』ってなってしまった。気持ちを切り替えられなかった」

 3点を追う9回裏、村上はゲームセットの瞬間を走者として迎えた。

「打者がセカンドフライを打ってゲームセット。走りながら、明日から野球がなくなって『何をしようかなぁ......』って考えていたのを思い出します」

 あの試合に勝利し、そのあとも勝ち上がっていれば、春につづき村上はひとりで投げていたのだろうか。最後まで疲れも衰えも見せることなく、村上は春、そして夏の甲子園での全7試合、921球を投げ抜いた。連覇は果たせなかったが、鮮烈な記憶を残したまさにエースの投球だった。

「高校野球2024年夏の甲子園」特設ページはこちら>>

村上頌樹(むらかみ・しょうき)/1998年6月25日、兵庫県生まれ。智辯学園では甲子園に3度出場し、3年春のセンバツで優勝。東洋大に進み、1年春のリーグ戦で完封勝利を挙げるなど活躍。2020年ドラフトで阪神から5位指名を受け入団。プロ3年目の23年、10勝6敗、防御率1.75の成績を挙げ、最優秀防御率のタイトルを獲得し、新人王、MVPにも輝くなど、リーグ優勝&日本一の立役者となった

著者プロフィール

  • 谷上史朗

    谷上史朗 (たにがみ・しろう)

    1969年生まれ、大阪府出身。高校時代を長崎で過ごした元球児。イベント会社勤務を経て30歳でライターに。『野球太郎』『ホームラン』(以上、廣済堂出版)などに寄稿。著書に『マー君と7つの白球物語』(ぱる出版)、『一徹 智辯和歌山 高嶋仁甲子園最多勝監督の葛藤と決断』(インプレス)。共著に『異能の球人』(日刊スポーツ出版社)ほか多数。

フォトギャラリーを見る

3 / 3

関連記事

キーワード

このページのトップに戻る