慶応義塾大・堀井監督×立教大・木村監督「高校の同級生対決」の行方は?「親友としてつらいですよ」 (2ページ目)

  • 大友良行●文 text by Ohtomo Yoshiyuki

 一方の木村は、一浪の末に立教大に入学。3年春は通算41打数11安打。ベストナインこそ逃したが、打撃10位と好成績を残した。

 堀井が卒業後の4年秋には、当時16連勝しての記録更新中だった法政大の西川佳明(のちに南海に入団)から、9回に決勝のホームスチールを決め、連勝記録をストップ。翌日のスポーツ紙には『まさかの"本盗"に"本当!"』の見出しが躍った。

【2013年に都市対抗で対戦】

 堀井は「命令」「強制」「怒号」などを否定した指導で、三菱自動車岡崎を常勝軍団に育て上げた。監督就任2年目の1998年にいきなり都市対抗初出場。2001年には都市対抗準優勝を果たした。

 その後、2005年にJR東日本の監督に就任。2009年から10年連続で都市対抗出場を果たし、うち準優勝4回、2011年には優勝を成し遂げた。また2009年と2012年から2014年までは、社会人日本代表のコーチを務めた。

 2019年12月に慶應義塾大の監督に就任した堀井は、2021年に春のリーグ戦を制すると、全日本大学野球選手権でも優勝。秋のリーグ戦も制し、いきなり手腕を発揮。2023年にも秋のリーグ戦、明治神宮大会で優勝するなど、いまや押しも押されぬアマチュア球界屈指の名将となった。

 この間、木村はどうしていたのだろうか。1985年に地元の古豪・大昭和製紙(のちに日本製紙に合併し改名)入社し、8年間プレー。現役引退後は社業に戻ったが、2009年に日本製紙石巻の監督に就任し現場復帰。

「自ら思考し、自ら実践する」をスローガンに、指導者としての才能を発揮。就任2年目の2010年、チームを都市対抗初出場に導いた。さらに2013年は、2011年に起きた東日本大震災により、グラウンドの瓦礫撤去作業などに追われ満足な練習はできなかったが、復興のシンボルとして2度目の都市対抗出場を果たした。

 この時、ベスト8まで勝ち上がり、JR東日本と対戦。お互い監督として、初めて対決することになる。結果はJR東日本が4−0で勝利したが、日本製紙石巻はこの大会での健闘ぶりが称えられ小野賞(大会ですばらしい活躍をした監督、選手、チームに贈られる特別賞)を獲得した。

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