「一か八かの賭けに出るしかない」別海高校は甲子園出場を勝ちとるためにチーム一の問題児をキャプテンに任命した (3ページ目)

  • 田口元義●文 text by Taguchi Genki

 そんな様子を間近で見ていた寺沢は、「自分がキャプテンじゃなかったら、中道になってほしい」と、かつて苦手だった相手にリーダーを託すようになっていった。

「2年の夏あたりにはもう、だいぶ変わっていましたから。相変わらずお騒がせな面はあったんですけど(笑)、いつも中心にいるのは彼だったんで。自分たちの代になったら、チームのキーマンになるんじゃないかって」

 キャプテンが正式にチームに通達された直後、中道と副キャプテンとなる寺沢、マネージャーの中岡真緒、そして監督が意志を確かめ合い、本格的に新体制がスタートを切った。

 主軸として機能できず、3年生の夏を早々と終わらせてしまったことへの悔過(けか)。なにより、周囲の期待を込められたうえでのキャプテン任命に、中道の背筋が伸びる。

「自分がやるとは思っていなかったんですけど、キャプテンに選ばれたからには『やるしかない』って気持ちになりました」

 自立した4人の3年生に、ただついていくだけだった10人の2年生が中心となった新チームのスタートは順調ではなかった。

 野球部の連絡事項を伝える、1日の練習メニューを共有するといった、それまでの当たり前が滞るようになる。フリーバッティングの練習では、マシンの変化球を誰も設定できないなど、細かいところで支障をきたす。そんなシーンが目立つようになった。

 前キャプテンだった千田晃世の弟で、下級生時代からセカンドのレギュラーとしてチームを支えてきた涼太が、当時の苦悩を語る。

「兄の晃世とか3年生がしっかりしていたんで、自分たちは先輩に任せっきりだったというか。それが、新チームになって『誰かがやってくれるだろう』と甘えになって出てしまって。新チームになった最初のほうは、なかなかいい状況にならなかったですね」

 不安定な立ち上がりとなった新チームにおいて、精神的支柱となったのがキャプテンの中道と、彼を支える副キャプテンの寺沢だった。

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