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「清原和博も1年からすぐ練習に参加できると知ってPLに来てくれた」甲子園の勝率.853、教え子39人がプロ入りの中村順司が語る指導論 (3ページ目)

  • 藤井利香●取材・文 text by Fujii Rika

●サインは単純「18年間、一緒や!」

 私がコーチから監督になってすぐの近畿大会。PLの試合のテレビ解説をしていた箕島(和歌山)の尾藤公監督が、ベンチで私がボールを手にしているのを見て「なんで持っているんでしょうね」と言ったらしい。案外見ているものなんだなと思い、だったら小道具に使ってやれと、ボールを使ったサインを翌年初采配したセンバツで採り入れました。
 
エンドランやスクイズといった重要なサインだけは他に2種類ほどつくりましたが、基本的に私のサインはシンプル。それも毎年ほとんど変わっておらず、1998年に勇退した直後、初采配した時の選手が電話をくれて「監督、サインはあの時と同じですか?」と聞くので、「おう、18年間一緒や!」と答えました。

 PLはデータ野球という人もいましたが、私は相手のことよりも自分のチーム、選手をよく知っておくことがもっとも大事だと思っていました。大観衆の前でプレーするんだから気負いがあって当然。選手の一番いいときと比べてどこがよくないのか。肩が下がっているぞとか、脇があいているぞとか、そういった具体的なアドバイスをしていました。

 相手のビデオを見てとことん研究するといったことはほとんどしませんでしたね。常に自分たちにベクトルを向け、いかにして自分たちの力を発揮させるかを考えていました。

若かりし日の中村 写真提供/中村順司若かりし日の中村 写真提供/中村順司この記事に関連する写真を見る

●選手同士の世界観を壊さないように

 1年生だった桑田と清原を大阪大会のメンバーに入れる。3年生にとっては屈辱だったはずで、直前までもめました。でもそれは当然のことなので、話し合いの時間をつくって3年生に理解を求めて決めました。監督からの鶴の一声ではチームはまとまりません。

 こんなこともありました。PLは寮生活だったので、1年生の時は全員、食事や洗濯といった当番があります。桑田を試合で使うようになった時、食器洗いで洗剤を使うと指が荒れてしまう。でも、「桑田に洗剤を使わせるな」と監督から命令したら、桑田が上級生から反感を買うかもしれない。肩身の狭い思いもするでしょう。

 そこで3年生の投手に「桑田に洗剤を使うのをやめさせたらどうか?」と提案し、上級生から桑田に伝えるようにしました。

 こうしてこちらから声はかけるけれど、最終的にどうするかは選手に任す。PLにはコーチや寮監ら複数のスタッフがいたこともあり、監督は必要以上に選手のなかに入らない。彼らの世界を壊さないよう心がけていました。

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