双子バッテリーの野望 日大東北・堀米翔太&涼太は「後輩に甲子園の景色を見せたい」

  • 田口元義●文・写真 text & photo by Taguchi Genki

 兄は真面目な右利きのキャッチャー、弟は自己主張の強い左利きのピッチャー。アイデンティティは異なるが、表情は瓜二つ。日大東北の堀米翔太と涼太は一卵性の双子である。

 小学1年で初めて白球を握りプレーして以来、二人三脚で野球道を突き進んできた。涼太が中学で本格的にピッチャーとなってから、それまで複数のポジションをこなしていた翔太は弟を支えるようにキャッチャーとなり、双子のバッテリーが誕生した。

 3歳上で日大東北野球部OBである兄と、投手育成に定評のある前監督の宗像忠典氏に惹かれ、「ここで野球がしたい」と切望する涼太に賛同し、翔太も同じ高校へ進んだ。

 そしてバッテリーを組んで6年、堀米ツインズは高校最後の迎えようとしている。

兄・翔太(写真左)と弟・涼太の日大東北バッテリー兄・翔太(写真左)と弟・涼太の日大東北バッテリーこの記事に関連する写真を見る

【1年夏の甲子園でマウンドを経験】

 2021年の秋にコーチから監督となり、ふたりを間近で見守ってきた吉田翔監督もその成長に目尻を下げる。

「翔太も涼太もいろんな経験を経て、『おまえたちがチームを引っ張らなきゃダメなんだぞ』と伝えてきたなかで、苦しんだ時期もありましたが、すばらしいパフォーマンス、リーダーシップを発揮してくれるようになりました」

 高校に入って最初に頭角を現したのは、弟でピッチャーの涼太だった。

 1年の夏、日大東北にとって18年ぶりとなる甲子園で涼太はマウンドに立った。初戦の近江(滋賀)戦で3番手として登板し、チーム最長の5回を投げた。3安打、5四死球、4失点という内容以上に、「1年生で甲子園を経験したこと」が涼太にとって大きな経験となるはずだった。

 だが、甲子園後の秋季大会から主戦を任されるようになった涼太は、過度な責任を背負ってしまった。涼太は自嘲気味に回想する。

「注目していただいているのはわかっていましたし、変に『自分がやらなきゃいけない』って。もっと下級生らしく先輩を頼ってもよかったのかなと、今にしてみれば思いますね」

 これまでの躍動していた姿とは、まるで別人だった。なかでも昨年夏の福島大会準々決勝の聖光学院戦の涼太は、萎縮しているような、不安げな雰囲気を漂わせていた。

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