「誤植ではなく」両投左打の逸材 大阪桐蔭のドラフト候補・徳丸快晴は「練習もせず、どっちでも投げられた」
「両投左打」
事情を知らない人が大阪桐蔭の背番号9・徳丸快晴(とくまる・かいせい)のプロフィールを見たら、「誤植かな?」と疑うに違いない。
だが、誤植ではない。徳丸は右でも左でも投げられる、稀有な野球選手なのだ。
外野を守る時は左投げ用のグラブをはめて守備につく大阪桐蔭・徳丸快晴この記事に関連する写真を見る
【両投げに違和感を感じたことがない】
「なんで(ほかの人が)できないんか、わからないんです。逆の手で投げると、だいたいの人は変な感じになりますよね。自分は違和感を感じたことがないので、『どんな感じなんやろ?』と思ってます」
徳丸の告白を聞いて、共感できる野球経験者などいるのだろうか。
徳丸は泣く子も黙る大阪桐蔭で、新2年生にして3番・ライトに座る逸材である。左打席から広角に強い打球を弾き返す打撃センスは天才的。ライトからのバックホームもハイレベルだが、外野守備時の徳丸は右手にグラブをつけて左腕でボールを投げている。
3歳上の兄・天晴(NTT西日本)の影響で野球を始めた徳丸は、幼少期からどちらの腕も使ってボールが投げられたという。
「両方投げることに関して、練習した記憶もないんで。もともと、どっちでも投げられたんだと思います」
小学生時は右投げの内野手としてプレーしていたが、5年生時に転機が訪れる。右ヒジをケガして、ノースローを余儀なくされたのだ。右がダメなら左で。まるで漫画『MAJOR』の主人公・茂野吾郎ばりの発想で、徳丸は左投げとしてプレーするようになる。
中学時代は大阪柴島ボーイズでプレーし、2年時のタイガースカップでは甲子園のマウンドに上がっている。左投手としては最速129キロをマークした。
この時点で左肩に痛みを覚えた徳丸は、今度はヒジ痛が癒えた右投げを再開して試合にも出場している。徳丸はあっけらかんと「便利やなぁと思いました」と振り返る。
小学生時に右投げ内野手としてプレーしていたため、現在もゴロを捕球するのは右投げ用グラブのほうが得意だという。一方、ボールを速く投げたり、遠くに投げたりするのは左投げのほうが得意のため、現在は左投げとしてライトを守っている。
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著者プロフィール
菊地高弘 (きくち・たかひろ)
1982年生まれ。野球専門誌『野球小僧』『野球太郎』の編集者を経て、2015年に独立。プレーヤーの目線に立った切り口に定評があり、「菊地選手」名義で上梓した『野球部あるある』(集英社/全3巻)はシリーズ累計13万部のヒット作になった。その他の著書に『オレたちは「ガイジン部隊」なんかじゃない! 野球留学生ものがたり』(インプレス)『巨人ファンはどこへ行ったのか?』(イースト・プレス)『下剋上球児 三重県立白山高校、甲子園までのミラクル』(カンゼン)など多数。